痛みと感度
誰かの痛みについて、鈍感でありたくはない。
敏感でいたい。
それは自らも痛みを負うことだけれど、痛みを知らない人でいたくはない。
安倍総理が、持病の潰瘍性大腸炎を理由に辞任する。
実は、わたしも同じ病の疑いとなり、検査を受けたことがある。
当然ながらそれらしい症状があり、つらかったけれど、結局別の病名がついた。難病ではなく、何だかんだで今は落ち着いている。
だが、今でも食事には気をつけなければならない。調子が悪くなれば受診をするし、定期的な検査もある。
「潰瘍性大腸炎かクローン病の初期かなあ。」
上がってきた画像を前にして、そう医師に言われた時は、背中がひやりとした。
がんサバイバーは周りにたくさんいる、別の難病もいる、でもそのふたつはいない。
色々調べて、その大変さにちょっと気が遠くなった。
ご病気を抱えながらの執務は、相当大変だったのではないかと思う。
病気は待ってくれないし、タイミングも選んでくれない。
思うように動く自由も、思考する時間も奪われていく。
それは辛いこと。
そのことを思うとき、好き嫌いや考え方の違いでどうして揶揄など出来るだろうか。
でも、SNSには揶揄や嘲笑が溢れていた。
批判の皮をかぶった罵倒や、偏見も。
病気をネタにしたり、嗤ったりする方がいること、とてもかなしく思う。
それはいつか自らに還るかもしれない、時間をかけた呪いだから。
病気による辞任で政策が通らないことを喜ぶ方もいた。だが、政策の是非は民主的で正しい方法にて検討されるべきだ。
学級会で厄介な役を決めているわけではない。欠席者がいるのを確認してほくそ笑むような言動は、まったく美しくない。
他者の病気を喜ぶ前に、ご自身やそのご家族、友人、または好きな人が病気になったときのことを想像してみてほしい。
それを他者に喜ばれたら、あなたはどう思うだろう。
これは政治的な話ではなく、それ以前の、人としての品格の話だ。
素晴らしい世界を望みながら、他方では病を抱えた人をさらに叩く。
それは素晴らしい世界につながる行いだろうか。わたしはそうは思わない。
誰を、どの党派を支持していても、どこに属しても、どのような暮らしをしていても、ひとりの人間。そして誰かの家族であり、友人だ。
これを読むあなたも。