打ち上げ花火、愚痴って見るか?使ってみるか?
むかし、小さなニュース/情報系ブログを持っていた。
物心つかないうちから新聞を追い掛け回し、ニュースをハシゴしていた人間だ。飽きたらず、そうした場を内側から垣間見たりもした。ブログを作ったのは、まあ予定調和的だったかも知れない。
リアクションは少ないながらそこそこ見てくださる人はいた。特にPVを重視しないながらも、話題によってはランキングのかなり上位につけることもあった。
今はないその場所で、度々書いたことがある。
情報をただ見るのは普通。見て溺れるのはアウト。見て考えるのは一歩先。でもメディアというものは、使うもの、つまりツールなのだ。収集・分析・比較して、ツールとして使いこなす人こそが、善にせよ悪にせよ世の中を回していく。
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まっとうな信念、まっとうな思考を有した優秀な頭脳でも、圧倒的情報量の前では「見て愚痴る」になってしまうことがある。
こぼれ落ちるほどに溢れるトンデモ医療情報に対しても、「マスメディアばかりを」罵るに止まってしまう記述を散々見掛けた。
──マスコミ何千社あると思ってる?医学書出してる出版社も広義のマスコミよ?
──職業として十把一絡げにすることは、あなたたちがトンデモと纏めて語られるようなものでしょう?そこに揺るぎない正しさはあるの?
──叩くところはそこ?憤る気持ちはわかるけれど、そこを叩いたら上手いこと凝りは取れるの?
真っ当で隙のない批判、そして他者を動かす力こそが必要なのに。
そんなツッコミと諦念渦巻く日々の中に、とてつもない光を見つけてしまった。
アレクサ、看取って④ グラディウスを知らずに大人になるなんて|Shin Ichihara/Dr. Yandel|note(ノート)https://note.mu/dryandel/n/n2ae78d2790f0
この人たちは、本気でメディアを使おうとしている。使うだけでなく、むしろ大きな力でそのかたちすら変え、回そうとしている。
心が震え、シナプスが騒いだ。
大きなものを動かすには、とんでもない労力が要る。それをこの人たちは、忙しい日常の仕事──しかも極めて多忙な職務を全うしながらやり遂げようとしているのだ。
とても個人がするような内容じゃない。
でもこの人たちはどこまでも真っ直ぐ本気なのだ。ここに辿り着くまでに、どれほどの苦悩と憤り、そして無念を通ってきたのだろう。そう思わずにはいられない。
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力をそのまま表出してしまうと、それは上手く届かない。瞬発力しかない。
号泣している人間を前にするとすうっと感情が冷めていく、あれと似たようなものだ。
逆に、滾るものを敢えて抑えて出していくことには、大変な精神力が要る。疲れてしまう。
人間はどうしたって主観で動く生き物だから、それを極限まで削ぎ落として「凪」の状態にするのはとても難しいことなのだ。
竜巻が、台風の目のような青空を演出すること。
その両極を内在させ、さらに他者にその演出を見せていく困難さを思うと、ゾクゾクする。
これは乗るべき波だ。この波のことを広めるために指を動かす、それくらいは凡人にだって出来るのだから。