each other
X(Twitter)で、精神疾患の患者は配偶者が速やかに諦めるというツイートを見かけて、なるほどわたしたちはレアケースなのかとまじまじ眺めてしまった。
引用があまりにも世知辛マックスなので、なんとなく
(まあ、こんな人もいますよー)
くらいの引用ツイートをした。いまは引用ポストか。もし誰かが不安からちょっと離れられればいい。見捨てられ不安はつらいだろうからね。
どうやらがん患者も、見限られやすいというデータがあるらしい。わたしたちはうつ病患者とがんサバイバーなので、なるほどどちらにも該当する。
でも、今のところは大丈夫。パートナーがうつ発症後にわたしががんになって心配もしたけれど、支えてくれた。先のことなんて誰にもわからないものの、お互いさまみたいなところがある。
自分がうつなのに支えてくれてグッときたけれど、告知第一声で掛けられた声が、動揺しすぎで「えっ死んじゃうの?」だったのはウケた。クレイジーすぎて、今でもちょっと思い出す。ごめん。いや、謝るほうでいいんだっけ、これ。
初期、しかも精密検査の時の会話で薄々わかってしまっていて(もう少し早く来ればいいんだ、と医師がボヤいていた)、形式的な告知だったからいいけどね。
その第一声はさすがにコントすぎるでしょう。まったく。医師がびっくり顔になってるところで当事者のわたしがウケていて、パートナーはきょとん。どんな告知現場だ。事件は診察室で起きているんだ!古いよ!
そのあと肉汁うどんを食べて帰ったくらいだから、わたしもいい加減クレイジーなのはわかっている。しおらしさの欠片もありゃしない。
そもそもその時点でお互いに持病もあり、パートナーはわりとよくあるとはいえ遺伝性難病だったりもしたから、あまり驚かない素地ができていたのだ。
病気を語ると過剰なまでに悲劇的なイメージを想定されがちだったりもするけれど、日常にそれがしっくり馴染んでしまうとそうでもない。そんなものだ。
勿論、わたしたちよりも状況がつらくて離れることを選ぶ人もいるだろう。わたしも、まわりから再スタートなどという言葉でそれとなく水を向けられたことはある。それも思いやりなのは理解しているが、別の道を選ぶつもりはなかった。
傾向があるにしても、何が正解か、みんなどうなるのかなんて決められていいものでもない。先のことなど誰にもわからない。選んだ道を正解にするための積み重ねを、その人の笑顔を増やすための日々を、まだ諦めようとは思わない。
不安になる日もある。日によってできないこともつらいこともあるし、逆に楽しくて跳ねたいような日だってある。文字にしないとやっていられない日もあるし、笑い転げる日もある。それは病気のあるなしに関係などない。
語りたい時は語る。その相手や場所は、自分で選ぶ。勝手にほじくり返して解釈されたいからでも、アドバイスを受けたいからでもなく、同病の人が
「こんなやつもいるのか」
くらいで鼻で笑ってくれたらそれでありなんだと思う。
闘病アカウントはわりとそういう、ざっくばらんな語りやシェアも多く見かける。ひたすら美味しいものをアップする人、愚痴る人、がんからの希死念慮と向き合う人、わたしのような何でもありのしょうもない人もいる。
社会の縮図とはよく言ったもので、色々な人がいるのがあたりまえ。みんなそれぞれ違う。誰のしがらみからも離れて、好きなように語れる場があっていい。語りにくくなるような言葉を見かけたら、逆により多くを語り、場を作る。語りが何をもたらすのか、患者のゆるい集まりやインタビューを通して、わたしはそれを見てきたから。
◇ ◇ ◇
わたしはアカウントを用途別に分けていないから、色々勘違いされやすいだろう。
がんになろうが謎の腫瘍が見つかろうが難局に陥ろうが、ただかわいそうなだけの人生などない、楽しいことはかならずあるのだということを記しておきたくてまた同じ場所に綴る。
パートナーのうつのせいでストレスからがんになったなんて、いい加減なことを何度も言われては否定してきた。患ったがんのタイプ(Low-grade DCIS)の進行の速さからも説明できるが、そんなことをいちいち言っても馬鹿にされるからしない。
心ないことを言われる覚悟は、とうにしている。でも、書き手の尊厳くらいは踏みにじらないでいてほしい。わたしは毎日原稿を書いていたから、書くことと生が繋がっている。
心理テストや文学ではないから分析や解釈は不要だし、医療のアドバイスは専門医に聞く。
一応、これでも人なので。それだって、お互いさまでしょう。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」