ライナスと花束
幼い頃に使っていて、そのあとも御守りとして持っていた青いロザリオ。
小学校にあがる前に自ら無宗教であろうと決めたから、なくしてしまった時はショックだったけれど、新たなものを買うことはしなかった。
どこかに属していることは、そのほかを否定しているようで。そんなわたしがふたたび持つことは、どこか躊躇われて。
でもあれは本当に素敵だったなとふと思い返して、似たものを購入しようかと考えていた。長い間、ずっと。
手に取って見てホッとする事があるならば、それもいいかななんて。
半貴石を使ったものも、ベネチアングラスを使ったものもあった。ショートもある。選ぼうと思えば、他だって選べた。
でもわたしは、あの頃と同じような色ガラスで良かった。思い出って、頑固だね。
ロザリオにrosaが入っているのは、「聖母の薔薇の花園」という意味だから。
祈りの薔薇を花束にして、聖母へ捧ぐ。
気がつけば、誰にともなくずっと祈っているような気がする。毎日は祈りのようなものかもしれない。
届いたそれは、持ち歩いていたかつての品によく似ていて気持ちが和らいだ。思えば、何を口ずさめばいいのかわからないとき、口をついて出た旋律はいつもアメイジンググレイスかグローリアだったな。
わたしの中にいる幼いわたしがそうさせるのかもしれない。
ふたつ、検査が追加になった。
「この年で怖い病気ということはないだろうから、念のため。」
医師はそう言って笑ってみせた。たしか以前の診察で、既往を聞かれてがんサバイバーだと告げていたはずだった。質問の内容で、鑑別疾患に何が上がったのか察してしまう。きっとそうではないのだろう、でも。これはいつまで続くのだろうか。
気休めの言葉はやさしく響き、でもおかしいだろうか、ほんの少しだけ不安が過る。ライナス、きみの毛布は最高でしょ。わたしにはなんだか少し、わかるよ。
誰かのために。時々は、自分のために。いまを乗りこなしていくためのロザリオ。