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years after

 すべてはバランス。
 そう数日前に呟きながら、バランスを崩してしまった。身のこなしとしては可も不可もなく、転倒を免れたら身体を捻ってしまったというわけだ。
 脹ら脛に走る痛みと痺れ、これは数日で治るだろうか?
 そんな甘い見込みも束の間、徐々に脚の感覚が鈍くなっていく。ああこれはやったな、鈍麻は神経関連か。上半身にもむち打ちのような痛みが広がっていく。
 仕事終わり、半ば駆け込みで馴染みの整形外科に行ったところ、
 「これはね、そこそこ大事ですね。ヘルニアとまではいかないですが、ここ。」
 単純撮影と触診で一目瞭然。映し出された画像、間隔がおかしい。腰椎の神経を傷めてしまっていた。

 これに先立って、実は内緒でジムに行っていた。がん告知の前、体調不良に喘いでいた頃以来だから何年振りだろう、随分と久し振りになる。

 重い頚椎症と石灰化を患って以降、軽いストレッチ以外の運動にはドクターストップがかけられたまま。つまり、独断だった。
 無理なくできるメニューを数セット、休憩を挟みながら3つほどこなした。楽しい。トレーニングしながらサブスクで「月の椀」をエンドレスリピート、ああ自分にもこういう時間があっていいのかもと思ってしまった。意外にも筋肉痛がなかったことで、すっかり自信がついてしまったのかもしれない。
 勿論ジムと怪我、ふたつの出来事に直接の繋がりはない。ただ、そこに慢心があったのは確かだった。

 ネット上には「やればできる」「やらないからできない」「やらないのは言い訳だ」「自分を可哀想がるな」「やればかならず報われる」といった言葉が溢れている。
 確かにそういう言葉で奮起する人もあるだろう。見ず知らずの他人にそれを向けるアドバイスや人生訓アカウントも花盛りだ。
 ただ、制限を課せられた中で地道に今を生きること、誘惑にも嘲笑にも踏ん張って禁を犯さない強さもやはりあるのだと、わたしはもう一度思い知らされる格好となった。

 もし首に影響が出たら、寝たきりになる可能性すら医師に告げられていたのに。首を振らないよう、激しい運動もしないよう、一時は可能なら仕事も離れ静養するようにさえ言われていたではないか。心のどこかでいつの間にか過去をなかったことにしようとしていなかったか、本当に違うと言えるだろうか。
 自分を罵るつもりはない。同じような思いを抱えた人だってたくさんいるだろう。ただ確かに軽率だった。
 
 流石に働かないわけにはいかない。当面は何とかなるにしても、大事な人やものや生活を守っていかなければならない。わたしを働かせている原動力は、求め関わってくれる人たちの喜びに加え、わたしの守りたい人たちの存在だ。その中には、のっぴきならない事情で働けない人も含まれている。がん治療で社会との繋がりによる喜びを再発見したが、社会との繋がりが希薄になってしまう人達の苦悩をそれ以上に捉えてきた。
 ならば、わたしは見立てと忠告を守るべきだったのだ。守りながら、本当に大切なものをも守るべきだった。

 8月初旬の私的なスケジュールを整理し、購入していたチケットやリザーブを淡々と機械的に手放した。
 人を追い詰めるような言葉を発するものとは、距離を置く。「できる」「できない」や性別や陰陽で人を雑にカテゴライズするものからも、まるで貨幣や品物のように人を分別したり取捨選択しようとするものからも。
 誰かの努力の方向性を詰るものではなく、いまはただ本当の意味でやさしく強く豊かなものだけに触れていたい。自分のために。 

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なつめ
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」