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無敵ではいられないから
かなしいことやつらいことをどこかで吐き出すことは、ふと漏れる溜め息と一緒で、心を少し楽にする。
だから世の中にはたくさんの体験記が溢れている。
わたしのこのnoteも、ささやかだけれど、経験したり感じたことの集合体だ。
ものを書き留めるにあたって、とても自由に振る舞っているのだけれど、強く意識していることがひとつだけある。
それは、恨みつらみの塊にしないこと。
日々暮らしていれば、いいことも良くないこともある。
でも、良くないことをてらいなく書き付ければ、それは心の重石になってしまう。
見るたび、読むたびに嫌な気持ちになる。
わたしは匿名で書いているけれど、いつ誰に気づかれるかはわからない。
ほんとうに無名の一個人であっても(わたしもそのひとりだけれど)、今は簡単に身を暴かれてしまう世の中だ。
そんな中でたとえば「○○(関係性や続柄)」がこんな事をしたのが嫌だ、とただ否定的に書いたとしたら、それは攻撃になってしまいかねない。
あいつは嫌いだ、こんな酷いことをした。
その言葉が剣になり石礫になり、相手に向かう。
それは無敵で、ある種の復讐だ。反論の余地を与えない。
実名をあげつらったりすれば、名誉毀損でたたかうことができる。
でも、そうではない一方的で「無敵な」やり方は、個人の実名をあげて一方的に非難することと同じく、すべきことではない。
経験した内容は、その人の主観でしかない。
当然、わたしも。
だから、相手にも計り知れない事情や背景があったのだろうということを、無視したくない。
世の中はわたしの主観で回ってなどいないから、様々な宇宙の集まりのようなコミュニティーというものを、つぶさに見ていたい。
勿論、激しい慟哭が誰かの肩を抱くときもあると思う。
それは否定しない、でもいつまでも泣き続けたらずっとずっと胸が痛くなる。声も嗄れる。
いつかわかりあう日がくるのか、こないのか。
それだって、わからない。
全てをわかりきれないということは、いつだって豊かだ。
漉し餡をつくるように、丁寧に灰汁を掬って裏漉しする。
漉していくたびに、なめらかになる。
なめらかになって、しっくり馴染む。
馴染んでいつか溶けていく。
やさしく溶けていくように、悲しみも見ていたい。
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