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年末は、次の年のプロローグだ。
終わるような顔をしながらあっという間に近づいて慌ただしく予告編を残していくのが12月。出会ったひとや出来事が次の年のキーになる。

2022年は予測不能な事態に巻き込まれて台風のような年だったけれど、2021年の12月に「うなぎ、頼んだぞ」を父がちゃんと私に伝えてくれて、それを受け取ることができていたから、出来事一つ一つには面食らってもどこか腹を据えて物事に当たることができた。家族と強力にサポートしていただいたプロフェッショナルの皆さんと、そして何より父の頑張りに本当に感謝してもしきれない。

たぶん、2023年へのメッセージはこれだなーというのはもう受け取っている。繋がりの拡がりのようなものをビリビリと感じていて、でも私にはまだそれに対応できるだけのスキルが整ってなくて、ちょっとビビりながらのスタートになる。それでも、少し前までは嫌でしょうがなかったことに今は自分から進んでいけるだけの度胸がついたのは今年の置き土産だ。

身体的なピークは過ぎているし、ちょっと心が傷つきやすくなったように思う。心身のレジリエンスが年々下がっているように感じるのは実際そうなのかもしれないけど、経験が増えたことで自分の輪郭が以前よりもはっきりとしてきた証拠なのかもしれない。おかげで、無茶をしないで無理を整えることがそろそろできるようになりそうだ。

たぶん、必要なことはほとんどすべて身の回りにあって、それに気づけるかどうかは自分のアンテナ感度次第で、必要なことが手に入るかどうかは届くと信じて手を伸ばすかどうかだ。顔を上げて目を開いて正面から出来事と向き合っていればいずれなにかしら気づきがやってきて、どうあがいても時間は勝手に進んでいく。

喜びや悲しみの感情のバイアスはひとまず脇において事実を受け入れる諦観とそこから生まれてくる可能性のようなもの(迫られる選択肢というほうが的確なこともあるけど)は一連だということ。その可能性のようなものは絶望の中にある小さな、でも確実な希望の芽だ。今を生きるために必要な要件がぎゅっと詰まった種で、見つけてくれるのをじっと待っている。

こんなふうにそこかしこにある次への道標に気づいていけたらいいなぁと、お気に入りのドラマが終わったタイミングで入る次のクールの番宣を見て思う。

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