インプットしたいのにできない
インプットしなきゃと思っていること
インプットしたいなと思っていること
それぞれある。
今日は大学の卒業・修了優秀作品展をみた。
作品をみる。キャプションを読む。
キャプションの文字は決して多くはない。しかし、なぜか上手く読めない。
作品もみる。なるほど……とみて次の作品を見にいく。
昔ほど、1つの作品に対してずっと見つめるという行為がなくなったような気がする。おそらく、1つの作品の前にずっと立っていることに耐えられないからだ。
色んなものを吸収する。でも、仕切れない。拒絶する自分がいる。
日々、アウトプットしている私はさまざまな情報や表現や思考に触れようとしている。しかし、持ち帰れているのはちょっとした絶望のようなもので、まだ、見つめているものの本質を見つけていないままのような気がする。
なんとも言い難い感情だけを持ち帰り、それをどうしようかなぁ……と思い、今日はここで言葉を打つことにした。
私は、作品の裏に隠された意図や過程を知ることが好きだ。だから、この大学がよかったというのもあって入学した。
クオリティーの高さももちろんだが、作品を作るに至ったエピソードや何をしたかったのかを知ることで相手に惹かれたり、作品をもっと知ろうとする。
だからキャプションは読むのだ。
でも、最近うまく読めない。卒展が終わって以降そんな感じが続いている。
比較するものではないとはいえ、同期たちの作品が多くあるからか、無意識に自分の思想や作品と比べているのかもしれない。そうじゃなきゃ絶望なんてしないだろうから。
自分の浅はかな思考を自覚して家に帰ってきた。
五美大展も、外部でやっていた卒展も、優秀展もそんな感じである。
絶望を持ち帰るとは言ったが、めっちゃエネルギーを浴びたことにより疲労しているからそう感じているのかもしれない。
疲れているから思考がネガティブな方に引っ張られていく。
足りないものをそういう場で自覚することはいいことだけど、それにフォーカスが当てられすぎると元々自分にあったものさえ消えてしまうかもとも思う。
都合よく吸収し、都合よく使えたらおそらくいいのだろうな。