リモートで仕事ができる今になったからこそ
noteをはじめてみて、何より面白いなと思ったのは書くお題がかなり目立った形で提案されていること。書きたい気持ちをとてもそそるプラットフォームなんだなと気付かされる。
仕事ってなんなのか
仕事の話をする上で、個人的にすごく腑に落ちる考えだなと思ったのは夏目漱石氏が行った公演を記録した「道楽と職業」の内容である。もちろん知っている方も多いだろうし、長い話ではないのでどんなことが話されているか気になった人は読んでみてもいいと思う。
簡単にいってしまえば、仕事とする限り誰かのためにならなければ仕事として成り立たないということである。
仕事に対する考え方
そして世の中には仕事を優先して家族を蔑ろにする人から、家族を優先して仕事は最低限という人までたくさんいる。
ただ、少しの間無職を続けてきた自分にはこのような考えになっている。
”仕事を優先しない限り、自分が社会的立場を確保できなくなり家族の立場が危うくなる。”
という考え方である。それは仕事が道楽の一種である人であっても同じであり家族を最優先させれば創作活動などもやっている暇がなくなるのである。
自分が社会に対してやらなければいけないことは成し遂げなければならず、それが成し遂げられなければ社会への責任を果たすことはできない。それが家族への責任にも繋がってくるという考えである。
自分がするべき仕事はなんなのか
これまで、自分にとっての仕事は”もの”を扱うことがほとんどであった。そんな中でコロナ禍によって、人の動きが制限されそしてものの動きにも制限がかかる日々が訪れた。
もちろん、それは自分にとって仕事に対する価値観を変えたことである。
「このまま、毎日工場に通っていてなにになるんだろうか。」
「リモートで仕事ができる人は通勤時間にもとらわれず、家族との時間が増えて羨ましい。」
「仕事があってもなくても現場に行くのは馬鹿馬鹿しい。」
こんなことを数年考えなから仕事をしていた時期に当たり、これが自らを苦しめたんだなと今になって思う。
じゃあ、リモートでできる仕事を始めてみよう
と思い、一番最初にはライターの仕事を始め、それからは「いや、動画編集の方がやってみたい仕事かも」と思ったりしながら約一年過ごしていたが、
"これらのリモートでできる仕事は自分がやるべき仕事ではなく、何かから逃げて行き着いた仕事でしかない”
と思うようになったこの頃。
収入になるならない以前の話で、本気で取り組もうとしても内容が全く賛同できるものではないために、本気になれないという単純な話だった。
だからこうして、お金にならない自分が書きたい文章というのはだれかに言われなくても書きたくなるのは当然のことである。
リモートである必要が全くない。
自分はリモートに向いていないと感じて、もっと深く考えてみると一つ気がついたことがある。それは、
”本気でできるなら、現場に向かうことが全く苦ではなく、現場に向いたくなる。”
ということだった。
それを元にこの先の生き方を決めていこうと思うがそれが確定するのは早くても1ヶ月後になってしまう。
やはり、家族のためにもやらなければいけないこともある。
仕事を選ぶということ
どんな仕事に就くか、今となってはほとんどの個人が選べる時代ではある。しかしその選び方については様々な議論がなされている。
どんなことで議論されているか、皆が捉えている限りの判断で構わないが、私からの意見としては、
”今日が人生最後の日だとして、それでも仕事に行きたい仕事をみつけよう”
仕事は社会に対して何かしらの責任を果たさなければいけない。だから、ちょっとした個人的な理由で投げ出してはそもそもならないものであるという考えに依ればちょっとした理由よりもなるべく自分にとって大きな意味を持つものであることが必要だろう。
もちろん、”もの”を扱わない仕事であればリモートであっても良いとは思う。ただ、私は”もの”を扱うことが自分にとってより大きな意味を持っているからそれだけの理由である。
世の中には”もの”を超える”ひと”を扱っている人たちもいる。