中国甘粛の旅8 牧羊犬ー放たれた矢の如く
甘粛の旅 その8 (2015年5月21日)
牧羊犬という名前や、“羊の番をする”といった程度の役割に関しては、私も知っていました。しかし考えてみれば、羊の番といったって、羊小屋の前で座り込んで見張っているんならともかく、広い草原の中でどうやって“番をする”のだろうと不思議に思っていたら、今日、天葬台に行ったときに、実際に目撃して、めちゃくちゃ感動しました。
上の写真にあるように、牧羊犬は少し離れたところで羊たちの行動をじっと見守っていました。そのうちに、羊の群れの一部分がゾロゾロと左下手の方に移動しだしたのですが、ある所まで行くと、越えてはならない境界線があるのでしょうか。あるいは、羊の群れの分断を阻止するためだったのかもしれません。もちろん近くに牧民の姿はありません。とにかくその動きを察知した刹那、キリッッ!と体勢を立て直し、引き絞られた弓からビッ!と放たれた矢の如く一直線に、その見えない阻止線の上をダァーーーッ!と猛スピードで駆け抜けたのです。
すると羊たちはその阻止線の内側、つまり右手の方にゾロゾロと戻ってまた元の一塊になりました。牧羊犬は、すでにかなり離れたところにいて、なんだか遠くの方をじっと見ていました。ほんとうに一瞬のことで、私は声すらたてられませんでしたが、その姿の凛々しかったこと、カッコよかったこと、アアッあれが牧羊犬というものかっ!と、ほんとうに胸が熱くなってしまいました。
元来犬好きの私ですが、あぁあんな犬と一緒に暮らしてみたい。牧民たちはどうやって訓練をするんだろう?それを見てみたい。そのためにだけでも、もう一度この村を訪れて、しばらく住んでもいいと、あれこれとんでもない想像をしてしまいました。
醒めやらぬ感動を胸に、ゼーゼー息を切らせながらしばらく歩いていると、遠くに馬に乗っている人がいるのがわかりました。もしかしたらこの牧羊犬の飼い主かもしれないと思って近づいてみると、それは10代とも思える若い女性でした。子ヤギの散歩でもさせていたのでしょうか?まったく言葉が通じなかったのですが、とにかく後姿だけ撮らせてもらいました。
チベット服というのは、基本的に男女同じかたちで、腰のベルトに挟まれている鮮やかな縞模様の部分が袖口で、ピンクの布が帯です。「冬虫夏草」のエントリーの最初の写真の右端の男性が着ていますが、夏場は肩脱ぎをして、腰のベルトに挟むのが一般的な着方だそうです。この娘さんは、ニットのジャケットのようなものを着て、白いストールを巻いていますが、今風のオシャレなのかもしれませんね。
またしばらく歩いていると、草原の真ん中でこんなおばあちゃんが座り込んでいました。何をしているのかと聞いても、やっぱり言葉が通じないのですが、どうやら袋から何点かのアクセサリーを出して、それを買わないかといっているようです。やっぱり観光客が通るんですね。今日は他には誰も来なさそうだし、いずれにしろそんなに長い期間商売ができるわけでもないので、ブレスを2つ買ってあげました。
周りを見回しても大草原の中に草を食む羊やヤクの姿がぽつぽつ見えるだけで、人家はおろか人が住んでいるような痕跡は近くには見当たりません。夏河で冬場は−30℃といっていたけれど、ここは高度があるので、もしかしたら−40℃くらいになるのでしょうか?
おそらくは私とそんなに歳も違わないだろうこのおばあちゃんの笑顔を見ていて、いや、これは笑顔ではなく、フツーの顔なんだろうという気がしました。苦しいとか辛いという顔ではないけれど、きっと彼女はいつもこんな顔をして、緑なす草原と5000mを越す峰々と空と雲だけを見ながら、おそらくは村を出ることもなく、夫や子どもたちとずーっとここに暮らして、あと何年か後には、我が身は鳥たちに施して魂は天に還ってゆくのでしょう。
4時間という約束で車まで戻らなければならないけれど、鳥葬の村まで来て、最後にこんなおばあちゃんに出会い、その何十倍何百倍もの長い旅の終わりのように、私は何度も手を振りながら山を下りました。