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中国甘粛の旅9 天葬痕と紅嘴山鴉

甘粛の旅 その9 (2015年5月22日)

*人の死や埋葬のことが出てきます。そういうのが苦手な方はスルーしてください。

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21日に郎木寺(ランムース)へ日帰りして、22日はまたラプラン寺の近くをウロウロしていました。寺の周辺で写真を撮ったり、マニ車を回したりしながら歩いていると、ゆうに1周2時間はかかりますが、私はけっきょくトータルで3周ほどしました。

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地域に暮らすチベット族の人々は毎日1回、人によっては1日に2回3回、人によっては五体投地で。。。と、とにかく明けても暮れてもコルラ(巡礼)していて、見ているだけでもワクワクするし、風貌が似ていて、私が着ているものはみな安物の中国製だし、“にわか信徒”になって一緒にマニ車を回して歩いても、誰にも怪しまれず、嫌な顔もされません。

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コルラする人たちの道順は決まっているようで、3人4人とグループで楽しそうにおしゃべりしながら回っている人たちもいます。きっと遠くからやって来た、‶お伊勢詣で″のような、ありがたい‶娯楽″を楽しんでいる人たちなんだと思います。

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私は一度そのルートからはずれて、人が通らなそうな、樹木に囲われた寺の裏の方に登ってみました。しばらくすると、小高い丘の頂からタルチョーに飾られた長い紐が地面まで下がっているところがあって、いったい何だろうと思って近づいてみました。するとそこには人間の頭蓋骨と切り刻まれた肉片が一塊ころがっていたのです。あたりには誰もいないし、やっぱり私は誘惑に負けて写真を撮りました。

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それでYHに帰ってから、完さんに見せると、そこは昔の天葬台だけれど、最近は誰も行く人もいないので確かめてくるといって、翌日行ってくれたのですが、やっぱり天葬の痕だということがわかりました。

どういうことかというと、夏河ではすでに天葬は禁止されているので、みな火葬だけれど、遥か遠く離れたところでぽつんぽつんと暮らしている牧民たちが、自分たちで天葬にするのだというのです。これはきっと、先祖たちから長い時間をかけて受け継がれてきた、自分たちの弔いの仕方が、死者にとっての一番の礼儀だということなのでしょう。そしてこれは、私が現在暮らしている黄土高原の小さな名もなき村々でも強く感じることなのです。

私の暮らす村からバスで1時間ほどで離石という町に出るのですが、入院できるような大きな病院というのは、界隈ではここにしかありません。もっとも、入院できるのは、村ではかなり裕福な家ですが、もし病院で亡くなっても、離石では火葬しかできないし、遺体になってから村に運ぶことは法律で禁止されています。

しかし、黄土高原の村々の伝統は土葬であり、かつ合葬でなければ墓は完成しないのです。つまり、先に亡くなった片割れは仮埋葬され、その後に連れ合いが亡くなると、新たに墓が掘られて2人一緒に埋葬され、そこでようやく墓が完成することになるのです。墓に墓標はたてられず、2mほどの土盛りの小山を作るだけで、それは灼熱の陽光と風雨にさらされて、だいたい100年くらいもたつと、自然に崩れて平地となってゆき、そこが墓だったということもわからなくなります。

そこで、その伝統の方式で埋葬されるために、死期を悟ってまだ息があるうちに病院から村に戻って来る人たちがいるのです。私もそういう人たちに何人か会ったことがありますが、生まれ育った故郷の土に還りたいという思いは強く、そのためには何が何でも土葬でなければならないのです。

話がズレましたが、私がその天葬台に上りかけたとき、何か黒い鳥が2、3羽バサバサッと飛び立ちました。あれっ?あの鳥はウチの村でもよく見る、名前のわからないあの鳥ではないか!つまり、ここではあの鳥が天葬の担い鳥なのか?ハゲワシやコンドルではないのか?

それで、完さんに鳥の名前を確かめると、「紅嘴山鴉」という名前であることがようやくわかりました。ずっと気になっていたけれど、何年もの間、調べようがなかったのです。

完さんがいうには、紅嘴山鴉ではほんとうの天葬ができなくて良くないそうです。つまり、ハゲワシのような大きな鳥だと肉をきれいに食べつくしてくれるけれど、小さな鳥では食べ残すのでダメなんだそうですが、いまはもう大きな鳥はいなくなったといっていました。なるほど、聞いてみないといろんなことがわからないものですね。ようやくこの鳥の名前がわかってすっきりしました。

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で、私は夏河に4泊もしたのですが、けっきょく寺の中には一度も入ってないのです。外周を回るだけで4日かかってしまいました。しかも、寺域全体を見渡せる絶好の撮影ポイントが山の上にあるのですが、2回とも道を間違えてしまって、けっきょくそこにもたどり着けませんでした。

で、最後にその山頂に直登する細い山道というか、くだんの旧天葬台の横のガレ場に、歳をも顧みず挑戦したのですが、7割がた登ったところでにっちもさっちもゆかなくなってズルズル引き返しました。すると、降りたところに自撮棒を持った、都会的な風貌の20代後半と思われるきれいなお嬢さんが立っていて、私がガレ場に貼りついていたのをずっと見ていたそうで、なんであんなところに人がいるんだろう?と不思議に思っていたというのです。

彼女は北京の広告代理店らしきところで働いているようで、なんと、蘭州でレンタカーを借りて、ひとりで旅をしているというのです。これには驚きました。中国もしばらく前までは、外国人はいうに及ばず、自国民だってそう自由に移動はできなかったはずだし、ましてやチベット族自治州をレンタカーで周るなんて考えられなかったのではないでしょうか?

そしてユニクロのトレーナーを着た、その闊達なお嬢さんは、来月には日本に行くようです。すでに何度目かだそうで、お目当てのひとつは、日本で純正ムーミングッズを買うことだとか。中国もいろんなところで大きく変わったなぁとしみじみ思いました。

ここにはいつまでいても飽きることはなさそうですが、私は用事があってクアラルンプールに行かねばならず、その前にしなければならないことも多々あって、いつまでものんびり“チベットの風”に吹かれているわけにもゆきません。あす、蘭州に戻り、列車のチケットが手に入り次第、村に帰る予定です。


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