クアラルンプール駆け足1週間の旅 1
甘粛省の旅から村に帰り、翌月ビザ切れで帰国、そしてその2週間後に関空からマレーシアへ飛びました。
もう時効なので書きますが、クアラルンプールの闇ブローカーのところまで、中国のビザを取りに行くのが目的だったのです。
中国では、北京オリンピック以降年々ビザの取得が難しくなっていて、2週間以内の観光を除いては、留学かビジネス、あるいは親族でもいない限り、ほんとうに大変だったのです。お金もかかりました。
現在も状況は変わらないと思いますが、もしかしたらより厳しくなっているかも知れません。ましてや、スパイ容疑で拘束された人も何人かいたようですが、私も山西省に行った当初は随分怪しまれました。しかし、私がいたのは中国人でも寄り付きたがらないビンボーなド田舎だったし、否応なく公安とも顔見知りになってしまうので、まぁ、後から思えば笑い話みたいなことも多々ありました。
香港まで行って2度取りましたが、これはロスアンジェルスの中国領事館発行のビザでした。つまり、香港からアメリカにパスポートを郵送して、それが返って来るのを待つのに10日間ほどかかり、その間パスポートなしで遠出もできず、滞在費だけがものすごくかかりました。当然ビザ代金は高額です。
その後に、クアラルンプールに行けば、4日ほどで取れるという情報が入って、2015年7月4日、関空からLCCのAir Asia に乗り込んだわけです。その時の過去ログが残っていたのでご紹介します。
本来、縁あって私自身の‶終焉の地″として選んだカンボジアの現在のこと、未来に向けての可能性について書いてゆきたかったのですが、如何せん身動きができず、クメール語も話せず、ほんと~~に心苦しいのですが、5年も6年も前の二番煎じの中国ネタしかアップできません。読んでくださっている方々にしみじみ申し訳ないです。
実は現在も、私が行ったMakro というタイ資本のスーパーマーケットで16人のクラスターが出て、1週間以内に行ったことがある人は、2週間の自宅待機を要請されている身なんです。よろしくご理解お願いします。
アジアへ! (2015年7月6日)
私的な用事があって、5日から1週間、マレーシアの首都クアラルンプールに行くことになりました。ここは、もともと中国人の移民が錫の採掘のために建設した街のようで、中国語では吉隆坡(ジーロンポー)といいます。
日本も中国も、もちろんアジアの国々ですが、私の中のアジアというと、どうしても熱帯の鬱蒼とした樹木に囲繞された、東南アジアの暑くて熱い国々をイメージしてしまいます。
マレーシアとかクアラルンプールという名前は、誰でも知っていると思いますが、さて、いまいちどんな国なのか街なのか、実感がわかないというのが正直なところではないでしょうか?私自身も初めて行く国です。(トップ写真はネットで拾ったクアラルンプールの中心部。右手のペトロナスツインタワーは、20世紀に建てられた世界一高い建物だそうです。)
関空からLCCのエアアジアで6時間半。意外なことに機体はエアバス、久しぶりに乗りました。機内に日本の演歌が流れていたのにはびっくり!
5日早朝5時半頃の到着でしたが、クアラルンプール国際空港はまず、私の“アジア観”を裏切って、広々としたオープンスペースのショッピングモールのような建物で、行き交う人々のファッションもとてもおしゃれでした。モールには、マック、ケンタはもちろん、ユニクロも入っていました。
うっかり空港の写真を取り損ねてしまったのですが、市の中心部に向かう高速列車も、ホームのベンチもこんなにおしゃれです。
車窓からはさっそく見慣れたロゴが。駅などの表示は、すべてマレーシア語と英語が併記されています。英語が第2公用語のようで、簡単な会話はすべて英語で通じました。
私はティティワンサというところに用事があったのですが、ここはモノレールの終点駅。中心部からはちょっと離れた、インド人が多く住んでいる界隈でした。
ホームの扉にもこんなペイントが施され、とにかく街中がカラフルでおしゃれ、かつとても清潔な街でした。
これは車内ではなく、電車の宣伝看板。ところどころにほんものの赤いベンチが出ていて、ここには生身の人間が休憩可。わかりますよね、右端と左のロボットの右側がリアルベンチ。あとは人間もすべてペイント。
ティティワンサで偶然通りがかったホテルの、外から見えるフロントに、なぜか日本の五月人形飾りの兜が置いてありました。聞いてみると、ここのボスと名古屋の企業の社長とが友達だとか。名古屋は私の故郷、なんだか不思議な縁で、さっそくここに宿をとることに決めました。結果的に、ここは値段のわりにすこぶる気持ちの良いホテルだったのです。
ホテルのすぐそばにあった、「北海道」という名前のシーフードレストラン。店の前には3列駐車、店の裏道にまでテーブルがびっしりの大繁盛。ここはどうやら中華系の経営のようです。街中でも「太陽のクアラルンプールから雪のHOKKAIDOへ!」という大きな観光看板を見かけました。熱帯雨林の東南アジアの人々にとって、雪の北海道はさぞかし、一生に一度は行ってみたい憧れの地なんだろうと思います。
翌朝、ホテルの前からもクアラルンプールの象徴、ペトロナスツインタワーがよく見えました。右側に「ホテル宿泊者のみ駐車可」と中国語で書いてあります。華人経営のホテルのようです。
ホテルからぶらぶら歩いてみると、15分くらいで巨大な屋台街に行きつきました。道路の両側にそれぞれ2列、そして本来の店もあるわけだからつまり片側で3列、合計6列の屋台と店舗が、ずーーーーっと先が見えないほど続いているのです。あとからわかったことですが、ここが有名なローカルエリア、チョウキットのようです。
ジーパンやTシャツなど衣料品店が最も多く、あとはお国柄ですね、ドライフルーツ、ドライ野菜と、乾燥させた食品がたくさん並んでいました。こんなにあふれかえる商品があるということは、当然購買力があるということであり、市民の生活には余裕があるということでしょう。
とりわけフルーツの豊かさと、値段の安さはいうまでもありません。日本では高くてめったに食べられないドリアンやマンゴーも“食べほうだい”。ヤシの実は鉈でばんばん割って、中のジュースだけポリ袋に詰めて、持ち帰りの行列ができていました。このヤシの殻の量がハンパじゃないですね。この先はどうなるのでしょう?
フレッシュジュースをあちこちで売っているのですが、これを見ると、何か色がつけてあるのかと思うのですが、違うんですね、みな天然の色素です。白はココナッツ、ピンクはピンクグアバァ、ブルーだけが聞き取れませんでしたが、ブルーベリィ?
途中に小ぶりの市場があったのですが、一番広いスペースをとっていたのが、実は魚売り場だったのです。マレーシアは海岸線が長いのだから、考えてみれば当たり前のことですが、私はなんとなく勝手に肉食文化の国だろうと誤解していました。調べてみたら、国民の一人当たり魚消費量は、日本人より多いそうです。
肉は、イスラム教徒がほとんどなので、豚はなく、羊も気候的に飼育が難しいのだと思いますが、この市場では見ませんでした。チキンは並んでいましたが、基本的に牛肉でした。
野菜類はそれほど多くはなく、種類は日本のものとほぼ同じ品ぞろえ。ただ、こんな大きな豆があちこちにぶらさがっていました。どうやって食べるんでしょうね?
こんなものを見つけました。豆腐と魚餅(はんぺん)と玉子豆腐です。このはんぺんは、屋台の食べ物屋でもよくみかけました。魚のすり身をはんぺんにするという文化は、おそらくは日本のものだと思うのですが、魚が豊富な地ですから、もうすっかり定着しているのでしょう。
アジア共通のベストフード、やきそば!見るからにおいしそうですね。3.5リンギッドということは、100円くらい。やきそばは多分もっと安いかも。
そうそう、またまた写真を撮り損ねたのですが、この屋台街の一角に、「ぜんざい屋」があったのです。もちろん最初はなんだかわからなかったのですが、小さなプラ容器に入った緑色のどろっとした液体を売っていて、店の人に聞いてみてもなんだかさっぱりわからないので、買ってみました。これが、緑豆のぜんざいだったのです。翌日には赤いのも黄色いのもあって、両方買いました。赤いのは日本の小豆のぜんざいとまったく同じ。黄色いのはとうもろこしのぜんざい。ただ、両方ともココナッツミルクが入っていて、まろやかでココナッツの香りがしました。なんだか不思議です。ぜんざいって、アジア共通の文化なんでしょうか?
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