(*'▽'*) 初対面の人と対峙したとき、 あなたは何をみるだろう。 見た目、仕草、表情、、、etc. 視覚から得た情報が圧倒的に強いのではないだろうか。 人は見た目で判断できないとは 言いつつも、やはり人の印象には視覚で得た情報が優位に働く。 そのせいだろうか。 第一印象が大切だと、 記憶の片隅で誰かが言っていた言葉を 忘れることは出来ない 冒頭の顔文字。 (*'▽'*)←これ これがあるだけで、ちょっと堅い文章でも柔らかくみえたかもしれない。 どうかな?
今年の初夏に、家の壁の中に蜂が巣を作った。 「キイロスズメバチ」 国内で最も攻撃性の高いスズメバチらしく、威嚇行動を取らずに刺してくることもあるらしい。 そんな隣人を迎えた私は、家の横の雑草を刈って作った紫蘇やバジルを蜂の威嚇音がこわくて収穫できずにいた。 そんな風に気をつけながら生活している中、父が薪下ろしの作業中に刺されてしまった。 手の甲を1箇所バチンと刺された父は、家に帰った後にぶっ倒れて前歯と意識を失ったらしい。 薪に気づいてお礼の電話を掛けた際に上の事故を
デ・キリコ展をみに行った。 シュルレアリスムの先駆けと言われている、初めて知った画家のひと。 えらい土砂降りだった。 行ったことのある場所だったのに、美術館に着くまでに2回道を間違えた。 展示に足を踏み入れると、デ・キリコの肖像画が出迎えてくれた。 イタリア感。。スパニッシュ。。。 伊達男。。。 そんな印象だった。 皿に乗ったサラミや、ビスコッティ。 マネキンや、塔。 無機物にのったモチーフの中に、言葉にするのが難しい気持ち良さを感じた。 宗教画みたいに、共通認識
税金が高いことに落ち込むというよりは、お金を稼ぐスピード感についていけないことと用途が明確に見えないことにお金がかかり、かつそれが私的にのしかかってきているように感じてたいへん落ち込む。そこまでして生きなくていい。
小学生のときによく言われていた。 当時はよくない言葉を言われていること自体が嫌だった。 「死ねっていってはいけない」って大抵の人は言っていたし、言っている本人は悪気がないとしても聞いていて悲しかった。 年数が経って、あのとき本当にしんでいたとしても、何かが変わるとは思えない。変わる以前に自分はいないのだからどうなっているのかもわからないけど。 希死念慮がわく状態の頭でも、死ねって言われたら反射的に生きる!って情がわいてくる。 殺したいほど嫌なのは自分が思っていたのとは違う
こんなことして何になるんだろうって思う脳の疲労だよってわかってるけど、何にそんなに疲れてるのかわからないし、疲れる思考をしているのが自分なのはわかるのに、なんでそう考えるのかはわからない。
中学卒業の時に、クラス全員が自分史を書いて学年誌を作った。これはそこにも書いた内容だ。 小学2年生の途中まで、すぐに泣く子だった。 何かあれば泣き、何か言われれば泣き、周りの子からは何をしてもすぐ泣くから嫌いだと言われていた。 わしはおしゃべりな子だったけど、同級生との会話は苦手だった。相手が何を言いたいのかわからなかった。し、じぶんも何かを伝える気がなかった。 なつみは変だから相手にしない方がいい。すぐ泣くし。 みんなそんな雰囲気だった。 みんなに嫌われてスタートした小
小学校中学年のとき、何か指摘されることに過剰に反応してすぐキレる子どもだった。 あるとき家庭科の授業で包丁を使うことがあり、同じ班の子に 「猫の手にして切るんだよ。」 って教えてもらった。 当時のじぶんは、やり方を否定された!ひとがしてることに口出しするなら自分でやればいいじゃん!! と、キレて大泣きし授業を放棄した。 子どもながらに、怒られてる訳じゃないのに、どうしてすぐにキレてしまうのかわからなくて、キレる自分が嫌だった。 最近、人の機嫌をとらなくてもいいんだよなあ。
8年ぶりに、ふとんから起き上がれない日が増えている。 からだが言うことをきいてくれない感覚、これがセイフティの役割を果たしていることはよく知っている。 しかし、 春だっていうのに、寝てる場合じゃないのに……動きたいもどかしさと、動こうとするだけ無駄であるという経験との間で、ゴロゴロ転がるしかない。 からだの不調と心の不調は関係しているらしいから、ごろごろするときは、無邪気にごろごろを楽しむのがマイルールだ。 からだが動かないからといって、心まで止めるのは経験上いいこと
今日はじいちゃんが亡くなった。 1年で2匹と1人が亡くなると、 なんだかいろいろ考える。 わしが社会の輪の中になんとか馴染もうと体力を使っている間に、 老いた家族はあっさり亡くなり、 その些細な変化に鈍感になってしまっていた自分に、少しだけ後悔する。 わしが世間を離れて自分のペースを守れていたら、もっと長く一緒に過ごせたのかなとか、人並みに考える。 なんとなく、 家族が亡くなったことも悲しいけど、 自分の時間を自分も含めた大切な人に使えていなかったことに気づいて、びっ
秋の真ん中になって、少し寒いのに太陽のねつで洗濯物がサラッとぜんぶ乾いたのをみて、すごくうれしかった。
最近、人生で3回目のブラックアウトをした。 ブラックアウトとは、 酔って記憶をなくすことだ。 のみすぎた。。。。? 量を飲んだつもりは全くなくて、むしろそんなに飲んでないのにって思った。 けど、3回目となると流石に体調が原因とかじゃないな…って思ったので、 なぜブラックアウトが起こるのか調べてみた。 ネットで検索してみると、肝臓で行われる代謝のしくみや、お酒に含まれる純アルコール量など、思っていたより"酔い“のメカニズムはいろんな要素の重なりだった。 主に4つ。
窓のサッシを交換してもらっているとき、壁がぽっかり四角く空いて、外と中を隔てるものって思っていたよりも存在感のあるものだったんだなって思った。あたりまえにあるものだったから気づかなかった。
人と関わるごとに、 自分の至らなさとか未熟さを感じて、 ずいぶんと落ち込む。 最近思った。 自分で知らなかったけど、 ずいぶんと自己を過大評価しているらしい。 これくらいできて当たり前とか思っている。 実際、すごいがんばったら、できているように見える。 し、自分でも上手くこなしていると思う。 けど、「すごくがんばったら」という前提のもとに出された結果は、落ち込んだときに、自分にグサッと刺さった。 それに、「すごくがんばってる自分」を常に見せないといけなくなるから、だん
飼っていた犬がしんだ。 11才と3ヶ月で、思っていたよりもはやくお別れがきてしまった。 死ぬまでの10日間はあっという間に過ぎた。 これから介護が続くのかなとかそんな不安がよぎる暇もなく、犬はごはんを頑なに口にせずしんだ。 ずっとクロノは食い意地がはってる犬だと言っていたけど、実はそうじゃなく、彼女の食欲は避妊手術によって倍増したものだった。 1才のとき、それはそれはまんまると太り、おやつをあげすぎる母親に犬の肥満リスクがいかに怖いかを話してよく喧嘩した。 このとき
わしは答えられない。 もし明確な理由があったらうさぎを描いていないと思う。 かわいくて、さみしがりやで、かわいい見た目とはちがって繁殖力が高くて、滅多に鳴かない。 守ってあげたいかわいい生き物の総称みたいなキャラクター性をうさぎは持っている。 とくに「滅多に鳴かない」この沈黙性の高さに想像が膨らむのを感じるからこそ、うさぎの中に本音とか思想を埋め込んで表現したくなる。 表現をノセるのにうさぎは便利だ。 うさぎを切り口に自分を深掘りしている。 から、正直に言えばうさぎ