産業財産権の価値評価-間接的効能の発現-

産業財産権とは、知的財産権のうち特許権、実用新案権、意匠権、商標権の4つの権利の総称である。自分の知的財産権を他者(法人を含む)が侵害していると訴えれば、損害賠償を請求できる可能性がある。また、他者が事業における競合企業だった場合には、権利侵害を根拠に製品開発をやめさせることができるかもしれない。これら知的財産権のうち、特許庁への手続きが必要な4つの権利が産業財産権である。特許庁への手続きや権利の保有にはお金がかかる。つまり、産業財産権は権利を取得する際にお金のかかる権利である。

産業財産権の効能(※特許法等では「効果」に法律的意味があるため、ここでは「効能」と表現する)は、上記のような本来的な効能(独占排他能)とは別に、間接的な効能が存在する。例えば下記の効能である。

①特許権を用いた人材確保
昨今、ソフトウエア人材の確保が困難になっている中、ソフトウエア企業各社は特許権を保有することをアピールし、優秀な人材を確保している。筆者がヒアリングしたとある氏は、優秀な開発人材は特許権を保有する企業を「開発力のある企業」または「開発力を有する人材を優遇する企業」と認識する、と話す。特許権を有していることをアピールし、優秀な開発人材に自社を見つけてもらうという。この評価は、特許権の本来的な効能(独占排他権)を指すものではなく、間接的な効能(特許権を有することの企業イメージ)を指すものである。特許権と同様に考えると、商標権や意匠権も企画人材やデザイナー等に対して間接的な効能を有するだろう。「産業財産権(知的資本)を人的資本と紐づけて考える」ともいえる。産業財産権は人が考えることによって発生するアイデア、デザイン、ブランド等に由来するため、人的資本との関係が深い。
 伊藤(2006)によれば、無形資産の評価の難しさとして不確実性が高いことがあげられる。産業財産権における不確実性の高さの一因は、権利期間の長さ、すなわち権利を取得した時点または権利を受ける権利を有した時点から権利(直接的な効能)を主張する時点までの長さに由来する。それに対し、間接的効能であれば、権利の取得から短い期間に発生すると予想でき、その効能の予測が容易となる。

②エンジェル投資段階での特許の扱い
エンジェル投資の段階では、既に特許を出願又は権利を保有している例の方が珍しい。逆に言えば、投資家にスタートアップ企業が一目置かれるきっかけを特許(出願、権利)が与えている。エンジェル投資の段階ではまだ特許の審査が終わっていない状態(出願しただけの状態)であってもその意思に対して投資が行われることすらあるという。特許が権利化されていなくとも資金が手に入る例として注目すべき流れである。

③海外における知財とスタートアップの資金調達との関係に関する報告書
2023年10月17日、欧州特許庁EPOは知的財産とスタートアップの資金調達との関係に関して欧州連合知的財産庁(EUIPO)と共同で行った調査の報告書等(以下、欧州報告書)を発表した。欧州報告書によれば、欧州のスタートアップは、シード又はアーリーステージに特許及び/又は商標を出願することで投資家から資金を確保できる可能性が最大10.2倍高くなるという。

③の欧州報告書の内容は特に興味深い。十分に成長した企業と比べると、スタートアップの資金調達方法は種類が限られ、かつ勝負できる素材は製品やサービスそのものに依るところが大きい。製品やサービスが複雑でないスタートアップにおける特許等と資金調達確率との因果関係が明らかになれば、特許等の効能(間接的効能)の寄与度が図れるかもしれない。

欧州報告書をもう少し読み解いてみよう。

㋐報告書作成の背景
通常、斬新な技術を市場に投入するためには多額かつ長期的な資本が必要であり、そのようなリスクを受け入れられる投資家はほとんどいない。このような背景から、欧州報告書は、スタートアップ企業の資金調達を促進するうえで特許と商標が果たす役割を評価し、その価値を投資家に示すことを目的として調査しまとめている。
 スタートアップ企業の資金調達は通常、資金調達ラウンドを通じて行われる。シード期における資金調達の目的は、スタートアップ企業が事業計画を策定し、アイデアを洗練させて、その後の資金調達ラウンドで投資家からより多額の資金を集められるようにすることである。アーリーステージ(シリーズA~B)の資金調達は、既に実行可能な製品・サービスやビジネスモデルを確立し、事業拡大及び持続可能な成長を達成するための資金を必要とするスタートアップ企業が求めるものである。シードキャピタルは個人からの出資や創業者自身からの出資があるが、シリーズA~Bは通常ベンチャーキャピタル(VC)やプライベートエクイティ(PE)投資からのものとなる。また、初期の資金調達ラウンドの投資家は、IPOや他社への売却を通じて成功裏な撤退を求めることもある。

㋑回帰分析
特許/商標の出願状況と資金調達との因果関係を分析するために、欧州報告書では回帰分析を行っている。従属変数として資金調達が成立することを条件とし、独立変数としてスタートアップ企業が特許/商標出願を行ったか否かを指定した。回帰結果は欧州報告書を参照してもらえればと思うが、例えば特許及び/または商標のいずれかを出願した場合と、いずれも出願しなかった場合とを比較した結果が提示されている。この場合、特許/商標のいずれか(又はいずれも)を出願した企業は、いずれも出願しない企業よりも2.6倍の確率でシードステージにおける資金調達が成立する。同様に、シリーズA~Bにおいても、特許/商標のいずれかの(又はいずれも)出願を行った場合はいずれも行わなかった場合に比べて資金調達確率が高まる。

欧州報告書が示す回帰分析結果※は、特許/商標の間接的効能を匂わせる。少なくとも特許/商標の出願が、スタートアップの資金調達に何らかの寄与がありそうだ、という傾向を示してくれている。

一方、日本の投資家やVCと、スタートアップとの関係において、この欧州報告書が示す傾向が適合するか否か明らかではない。日本においても同様の傾向が示されるかどうか、筆者は、ヒアリングやサーベイ調査を通じて探求していく所存である。

参考:
(1)伊藤邦雄、無形資産の会計、中央経済社、2006
(2)Patents, trade marks and startup finance Funding and exit performance of European startups October 2023
https://link.epo.org/web/publications/studies/en-patents-trade-marks-and-startup-finance-study.pdf

※回帰分析はその性質から係数の指定に気を付ける必要がある。また、重回帰分析を行っているため、相関関係の高いものどおしを係数としてしまう多重共線性(マルチコリニアリティ)にも気を付ける必要がある。


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