「マチネの終わりに」を読んで、もろもろ
こんにちは。
イラストレーターの大嶋です。
おもにイラストをスタンプで作っています。
だいぶ空いてしまいましたが「マチネの終わりに」企画の投稿です↓
毎日新聞とnoteにて掲載されている平野啓一郎さんの小説「マチネの終わりに」コラボ企画に参加することとなり、制作過程をnoteにアップしています。
普段、仕事中はもっぱら深夜ラジオを聞いて作業をしていましたが、この連動企画をきっかけに、クラシックギターやスペイン民謡、アメリカポップミュージックのギターカバーをダウンロードして聞くようになりました。制作に潤いが出たような。。
曲選びは小説を読んでは、気になった曲をネットで検索し、iTunesでダウンロードして聞いていました。が、後日企画の方から親切に小説に出てくる曲の全リストをいただいてしまいました。。
登場人物である薪野と洋子、2人の未来にキラキラした予感のような感じていたのもつかの間、あぁ。。。と、年齢のせいにしてはいけないかもしれないけど、人生思うようにはいかないのか。。。などと、しみじみしている間もなくどんどん展開していきます。なんというか、誰も悪くない、といいますか。
ここ最近はPCや携帯(スマホ)でネットやメールが便利に使え、10年前とは、いや2・3年前とは仕事やプライベートの過ごし方は明らかに違ってきています。10年前というと、私は21歳なので学生でしたが、まだ写メやリンクを今のようなスピード感で送りあったりする文化はなく、SNSもmixiくらいだったような。便利といえば便利ですが、仕事のときなど、直接あって話すのと違い、言葉のニュアンスや相手の表情が読み取れないし読み取ってもらえないので、結局直接あったときに「ああ、あれそういう意味だったんですか」ということがしばしば。
今後もnoteに制作過程をアップしていくのですが、やっぱりもろもろ完結は展示をして作品を観ていただいたときなのかな、と思っています。
で、小説での主人公・薪野と洋子も、基本メールのやり取りが多いのですが、これが電話だったり会って話してたら。。。そもそも出会ってなかったかもしれないけど、こんな風になることはなかったのでは、と思ったりします。
話変わりますが、1ヶ月以上前ですが、7月20日に開催された、平野啓一郎さんと音楽評論家の濱田滋郎の対談を聞きに毎日ホールへ伺いました。
クラシックギターに精通された濱田さんが、小説を読んで「薪野が(小説の中で)弾いている曲が、、さすがですね」的なことをおっしゃっていて、薪野のチョイス(平野さんの選曲)に驚かれていました。また、「殺伐とした世の中にうっとりするような小説を書きたい」と平野さんがおっしゃっていたのですが、クラシックギターの存在自体がどのシーンでもその象徴のように改めて感じました。
対談の中で平野さんが「ギターを弾くとき、なぜか最初に『禁じられた遊び』を親に勧められる」件についておっしゃっていたのですが、わたしも学生時代、父親に「禁じられた遊び」の教えてもらったことがありました。私の場合、触りだけ引けるようになりその先を教えてもらおうとしたら、父親も全く弾くことができず、なぜ触りしか覚えていないのにもかかわらず私に(しかも堂々と)弾かせようとしたのか、甚だ疑問ではありましたが、「禁じられた遊び」スタートの家庭は多いんだということがわかりました。親の世代?なんでしょうか。
制作についてですが、自分が小説の登場人物たちを描くのか、それとも読んだり観察したりして感じたことを描くのか。私は挿絵を描くわけではないので、後者の感じできっと描いていくのかなと。
完成まで7ヶ月切りました。。またコンサートとか予約したりしなければ!では!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?