奈津子

「生きる力を高めたい」という想いで人口550人の小さな村に移住し丸8年。だんだん時代が追いついてきた、そんな今日この頃。

奈津子

「生きる力を高めたい」という想いで人口550人の小さな村に移住し丸8年。だんだん時代が追いついてきた、そんな今日この頃。

最近の記事

米づくり記録note/2020年

▶︎3/30 籾の水選別→水に浸水開始 ※竹炭を入れた。※朝晩の出し入れやらず。※籾撒きまで約23日(3週間くらい)ちょうど良かった。 ※ここ数年、水選別しかやっていない。(結局、ダメな種や苗は育つなかで自然に淘汰されるという考え)特に不具合がないと思われるが、昨年、徒長した稲穂が少し気になった。塩水選をすることで病気が出にくくなる(選別される)という情報も目にしたので、来年は水選別だけでなく塩水選もするかどうか迷う。。(どちらにしろ湯消毒はなくて良いと思う) ※調べてい

    • なぜ27歳で村に移住したのか

      今から約8年前、(当時)人口約600人の村へ単身で移住した。その頃は、この村でもまだ移住者は少なく、特に女性で単身移住した同世代はいなかった、そんな時代。(今では同年代も増えました!) 2011年3月11日に発生した東日本大震災。当時、私は東京で野菜ソムリエの資格をとり、野菜の産直販売をしていた。ちょうど東京駅の地下街の生鮮売り場で販売中に地震が発生し被災。帰宅難民になった。交通網が麻痺したため私も自宅までは遠すぎて歩けず友人の家まで歩いたが、東京の街は異様な模様だった。サ

      • お米のある安心感

        村の人に話を聞いていると、昔は今みたいにお米が安定して穫れなかったという。気候によって不作だったり、今みたいに機械や肥料などもなかったから、春先には子どもも一緒に山に入り、山で柴刈りをし田に足で踏み踏み漉き込んだという。わらじで山に入り、その柴を田に漉き込んだもんだから、足が血だらけになって痛かったそう。 ※「柴刈り」と「芝刈り」の違い 👉参考URL そんな「生きる」ことに苛酷だった時代。お米は本当に命の綱だったのだ。秋、お米を収穫すると、いざという時のために何俵もの米を

        • 生きる力

          「生きる力を高めたい」ただただその一心で移住した8年前。 生きる力って何なの? 私なりの答えは、米と薪と水があれば生きられる。 たとえ、電気・水道・ガスが止まっても生きていける。 依存しない暮らし方。 おかげさまで、今は米をつくり、薪をつくり、炭をつくり、山から水を引いてこれる。そんな豊かな暮らしができている。 幸せって色々あると思うけど、地に足をつけた暮らしができること、それが今の私の一番の幸せかな。