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40歳、結婚してみて恐れていたことが起こった
昨年40歳になりました。
そして40歳を迎えた3日後に結婚しました。
これが遅いかどうかという議論はもはや「人それぞれだよ」と一蹴されてしまう時代だと思いますが、私個人は32歳ごろから結婚を意識しつつ、でも「本当に結婚していいのか?」と迷う日々でした。
まだやりたいことやってない。結婚したら自由がなくなるんじゃないか。そもそも結婚したいという気持ちは世間という空気からくる妖ではないのか?
そう考えながらもどこかで良い相手はいないかと意識して、一番中途半端で苦しかった時期な気がします。
ただ、このnoteを書き始めた頃。つまり創作活動を始めてから、別の意味で結婚することへの恐怖が生まれました。
それは、「表現することがなくなるんじゃないか」という恐怖。
私にとって表現とは、怒り、悲しみ、自分の中の満たされなさを外に出す行為だったのです。
ことさら恋愛において、私はなかなかにしんどい思いをすることが多く(余談ですが今思えば恋愛のプライオリティが高かったから一番感情を揺さぶられたんだと思う。私は恋愛の先に結婚を見ていたから、結局結婚したかったんだなあ)、その傷の痛みを燃料に文章を書きまくり、漫画に込めていきました。
その時にうっすら感じていたのは、「私幸せになっちゃったら、創作活動辞めちゃうんじゃないか?」ということ。
ゴッホは自身の性質ゆえ生涯にわたり生きづらさを抱えており、描くことでしか自分を表現できなかった。描かなければ自分を保てないほど苦しんでいたらしい。
表現者ってそうでなくてはいけないんじゃないだろうか?
そう思っていたのに、昨年結婚してしまいました。
結婚=幸せではないことは重々承知ですが、なんと私は今、幸せなのです。
お相手を仮にYOUさんと呼びますが、YOUさんは普通に優しいのです。そして2人で穏やかな日々を過ごせちゃっているのです。
「今度一緒に〇〇に行こう」と約束すればそれは叶うし、荷物が重ければ自然に持ってくれ、電車が1席空いていれば私を座らせてくれる。小さな喧嘩をすることはあっても、落ち着いて話ができ、お互い素直に謝れる。
こんな当たり前に見えることが、どれほど奇跡か。
ただそうなると問題が、創作の燃料です。描かずにはいられないような傷が、えぐられるような感情が、生まれないのです。
ある時iPadの前でポカンとしてしまいました。
過去の傷を召喚し、なんとか燃料にしました。創作せずにはいられない、というわけではないことに、大いに焦りました。創作しなくても、生きていけるかもしれない…
ただ、誰かの面白い創作物を目の当たりにした時、やっぱり悔しいなと思うのです。
私もこういうものが作れたら、と思うのです。
もともと好きだったもの。
私は小さい頃からお笑いが大好きで、誰かが一生懸命くだらないことをしているとたまらなく愛おしいと思う。
最近は歴史も好きになった。この場所で昔お侍さんが駆け抜けたんだなあとか思うとワクワクする。
ドキュメンタリーも好き。自分とは全く違う世界を生きる人の考え方に触れるのが面白い。
そもそも、幸せを表現した作品もたくさんあるじゃないか。
世の中が疲弊している今、そういうものの方が求められてる雰囲気さえある。
もしかしたら、今までの自分の表現はただのエゴで、本当の表現はここから始まるのかもしれない。
自分が何を創作し表現したいのか、やっとスタートラインに立っただけなのかもしれない。
そう信じて、もう少し進んでみようかと思うのです。