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実家じまい-その1(気持ちの準備編)
「実家の片づけ」
「遺品整理」
「空き家問題」
同世代でそんなワードに目がいく人たちは少なくないはず。
私も手をつけるまでは本当にいろいろ大変だった。
でも、動き出してしまうと呆気ないほどスムーズに事が運んで、いまはスッキリ感この上ない。
ということで、この度、数年来頭を悩ませてきた実家の片付け問題に、まさに「片が付いた」ので、(これは誰かの参考になるかどうかはわからないけれど^^;)覚書として残しておく。
■実家という存在
その家に引っ越してきた日のことはよく覚えている。
東京のアパート暮らしから、晴れて一軒家への引っ越し。中学三年にして初めて自分の部屋を持たせてもらって、最初のうちはなんだか落ち着かなかったっけ。
中三から嫁ぐまでの約10年。
青春時代を丸っと過ごした部屋。
大学に入った入学祝いに、なんと自室に私専用の電話をひいてくれたのは母だった。
携帯なんて未来のものはもちろん無い時代に、私は自分専用の電話を持っていたのだ。電話代は私のバイト代で払う条件だったけど、私が懇願してつけてもらった記憶はない。多分、私の長電話問題で父(養父)と私が揉めるのを避けたかった母が、気を利かせてくれたのだと思う。
親と喧嘩したり、失恋したりして、家を飛び出してきた友達を何人泊めただろう…笑
通りで鳴るクラクションに呼び出されて夜中に私が出て行ったことも、朝帰りして玄関で母にビンタをくらったことも、今となっては懐かしすぎる。
(あれ?全然片付けの準備に入れない・・・苦笑)
私が結婚した数ヶ月後に弟は東京で一人暮らしを始める。
よって、子連れで再婚した母は、50代で初めて父との二人暮らしを経験することとなった。(忘れてはいけない、ワンコが4匹、ニャンコが3匹いた^^)
その父が亡くなったのが2002年の12月。
めずらしく茅ヶ崎でも大雪が降った寒い日の翌日。
家で、一人で、逝ってしまった。
具合が悪くて臥せていて、でも病院にはまったく行く気がなくて、ほとほと困った母が「お父さんに病院行けってあなたから言ってよ」と私に連絡してきた。
「おとうさ〜ん?大丈夫?寝てるのかな・・?」
電話に出る元気もなかったのだろう。
留守電に録音される私の声を聞いたのかは分からないけれど、その夜、弟が様子を見に行った時には、もう父の息はなかった。
父を一人置いて、その日仕事に出てしまった母は、自分を悔いていた。
そんな家で、母はその後、約15-6年を一人で過ごした。
好きな着物を趣味にして、友人たちと旅行にいったりお出かけしたりする日々。
一人暮らしになっても「寂しい」と漏らすことはなかった。
あ、猫がいたからか・・・苦笑。
東日本の震災の直前、最後の猫が亡くなった。
いま思えば、ペットロスからの鬱もあったのだろうけれど、震災後のわちゃわちゃ感で気づいてあげられなかった。
それくらいからジワジワと母の体調が思わしくない日が増えていった。
パーキンソンの症状から、掛け時計の電池を交換しようとして椅子から落ちたり、駅前の信号で転んで救急車で運ばれたりもした。
母はそれでも「ここで一人で暮らしていたい」と言っていた。
一時は、ヘルパーさんをお願いしつつ、一人暮らしを継続する方法も試してみたけれど、危うく熱中症になりそうな事態になったことで、もう一人暮らしは無理・・・ということになったんだっけ。
(リビングの壁にヘルパーさんがきてくれるカレンダーが貼ってあった。2015年のものだった)
その後は弟夫婦の家に同居して、デイサービスやショートステイをフル活用するようになったけれど、それでもずっと「家に帰りたい」と言っていた。
「だって、私の家だもの」って。
母にとっては、自分の人生のあらゆるものが詰まった家だったのだろう。
でももう、そこに帰りたい人はいなくなってしまった。
帰らぬ主人を待ち続ける築40年の家。
思い出はすごく詰まっているけれど、私も弟も日々の暮らしは事足りていて、あの家にあるもので「生活に必要なもの」は何もない。
だから、私も何度も「片づけ」に赴いた。
戸棚を開いても、タンスを開けても、押し入れに潜っても、何も欲しいものはないのに、そこにあるモノをどう手放していいのか分からない。
家族が暮らしてきた歴史と私たちが過ごした思い出が、あらゆるところに詰まっていたから。
■だからプロの手を借りる
弟はどうしてそんなにクールなのか理解不能なのだが。
(きっと彼も心にはいろいろあると思う、思いたい…苦笑)
「とにかく今年中に実家片づけるから!なんとかしてよ」と、彼が言い出した。2023年の年明けのことだった。
母を見送ったのが2022年の9月。
半年も経っていないのに、そんなこと言う??と思ったけど、まぁ私は土地建物のことには口を出さないことにしていたので(相続して、固定資産税払うのは彼だし^^;)じゃこの一年でとにかく私が残しておきたいものを選び取っておかなくちゃ・・・とエンジンをかけた。
で、やっぱり最終的にはプロに頼まないとすすまないよね・・・と思ってたら、たまたまこの人が静岡にやってきたのでちょこっと相談してみた。
![](https://assets.st-note.com/img/1708861588125-I8NbCRWJZg.jpg?width=1200)
日本ライフオーガナイザー協会の高原真由美代表。
そしたら「メモリーズさん、紹介しよか?」
おぉ!そうだった!
さすがこういうときに頼りになる片づけのプロ♪
メモリーズさんの横尾社長の話は、以前にも聞いたことがあった!
私もライフオーガナイザーでよかった!(笑)
「メモリーズさんは、
家にある売れるものは売ってくれるし、
売れないものでもリサイクルできるもの、
それが難しいものでも海外に送るルートも持ってる」
から
「とにかく、残したいものは先に取り除いておきなよ!」
そんな高原親分の後押しもあって動き出せたのが、大量にあった着物たちの処分だった。残したいもの、というか、母の想いが一番詰まっている物のような気がしたから。
(そちらについては、こちらの記事で詳しく・・)
■信頼できるプロとの出会いはとっても重要!
10月に大阪で、横尾社長と三人で会食。
めっちゃいい人(笑)
実は同学年の同い年(笑)
こちらの事情を説明しつつ、聞きたいことを聞きまくる私。
これまでの事例とか、その地域に合わせた対応とか、なんかこの仕事に対する使命感みたいなものを感じて、すこぶる安心する。
※ちなみに、メモリーズさんの横尾社長は、以前NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にご出演されています。
11月の終わり、実家に見積もりに来てもらう。
担当は横浜支店でということだったけど、大阪在住の横尾社長がフットワーク軽く同行してくれた。
担当のスタッフさんがすべての部屋の様子と物量などチェックする。
社長もスタッフの方も、こういうものは売れますよ、とか、全部こちらで仕分けしますので不要なものはそのまま残しておいていただいていいですよ、とか、すごく親身に(こちらのメリットを考えて)提案してくれた。
そして、肝心の見積額だけれど、
「最大で〇〇万円だと思っていてください。それが上限額で、そこからリユースやリサイクルで売れた金額は、後日ご返金します」とのこと。
さらにびっくりすることに、実施期間を聞くと
「多分1日・・・、半日でもいけるかな?」って!
実は、別の業者さんに一度見積もってもらったことがあった。
そのときは、ぐるっと家中をみて回って、
「1週間はかかると思ってください」と言われていて、提示された金額もメモリーズさんの倍額だった!^^;
おかげで、メモリーズさんの良さを私がどんだけ伝えても
「とりあえず見積もりもらってから考えるよ」
と言い放っていた弟が、その日その場で契約するに至った!(驚)
年内の実施というのはスケジュール的に厳しかったけれど、1月末ではどうですか?という予定が立って、いよいよ片づけの決行日が決まった!
そこから2ヶ月。
割と時間があるな・・と思いながら、結局、年末年始ということもあってなかなか最後の点検に行けなかった。
これが予期せぬ事態を招いたのか・・・。(つづく)