ボルセーナ湖に残る聖母マリアに跪いた雄牛の伝説の起源は?
中部イタリアにある、世界で2番目に大きいカルデラ湖ボルセーナには、雄牛にまつわる伝説が残ります。
その伝説によると、ある雄牛が、ボルセーナ湖南岸の村カポディモンテから対岸のサン・ロレンツォ・ヌオーヴォまで泳いで渡った後、丘の上まで登り、その場所に当時あった植物が絡みついた廃墟の前で跪いているというのです。その場面を何度か見た農夫は、不思議に思い、生い茂った植物を刈り取ると、そこには聖母マリアの絵がありました。そして、そのことについて報告を受けた村の司祭は、その場所に教会を建てることに決めました。それが、現在のトラーノの聖母マリア教会です。
現在、この教会では、毎年、聖母マリアの生誕祭である9月8日にお祭りが行われます。このお祭りが行われる前に、お祭りで女王様役となる"Signore di Torano"(トラーノの女性)が村の司祭により、くじで3人選ばれます。選ばれるのは、少女から女性にかわる年齢である16歳になったばかりの女性のみ。大人の仲間入りをした3人の女性たちは、祝福されながら、サン・ロレンツォ・ヌオーヴォから教会まで聖母マリア像とともに行進します。
何故、このお祭りで、3人の少女たちは、”Signora”と呼ばれるのでしょうか。(シニョーラは現在、結婚した女性に使われる敬称で、結婚前の女性はシニョリーナと呼ばれます。)
この教会が建てられるずっと前の古代エトルリア時代、この場所には、女神Turanに捧げられた神殿がありました。先の伝承でも、雄牛が植物が絡みついた廃墟にて跪いていたと伝えていますが、考古学調査より教会の床の下から古代の神殿の凝灰岩のブロックや、祭壇近くでは石製の工芸品がみつかっています。そして、教会の外にはてっぺんに円形の穴のある古代の火山岩の角柱あります。
女神Turanは、ローマ神話のヴィーナスやギリシア神話のアフロディーテと同一視された、愛と美、繁栄と生命を司る女神でした。Turanという名前は、古代ギリシア人がエトルリア人に使っていた呼称Tirreni (Tyrseni, Tyrrenoi)や、エトルリアの領土を広げ12都市連盟を築いた王様Tirrenoと語源が同じで、Tirreniは、「Turanの民族」に相当し、エトルリア全土の守護神であったTuranは、女王、女主人などの意を汲む"Signora"という意味でした。
それ故、"Signora"と呼ばれる3人の少女が大人になったことを祝う現在の聖母マリアのお祭りは、古代よりこの地で生命の繁栄を願い女神Turanに捧げられていた儀式に起源を持っており、中部イタリアのキリスト教のお祭りとして他に例はありません。
さて、最初に書いた雄牛の伝説、雄牛が跪いているのは、今となっては聖母マリア像ということになっていますが、もともとは女神Turanであったことが想像できます。
それでは、雄牛がエトルリアを代表する女神の前で跪くという伝説は何を伝えているのでしょうか。
ここからは、私の勝手な考察になりますが、世界の古代の文明がそうであったように、ここ中部イタリアでも大地母神を最高神とする古代文明があったと思われます。そこへ、後に、いつの時代か、雄牛を敬う海洋民族がやってきたのではないかと思うのです。ただ、この雄牛を敬う民族は、もともといた大地母神を敬う民族を武力で征服するわけではなく、ボルセーナ湖の南から北へ移住していったのではないか。雄牛がたどる道筋が、移住経路を表しており、ビゼンティーナ島で雌牛と交わったのは、もともといた民族と交わり、畑で野菜をお腹いっぱい食べたのは、食事を提供され歓迎されたことを示しており、そして雄牛が女神の前で跪いたのは、先住民族への敬意を表し、この二つの民族が争うことなく調和されていき、エトルリア文明を形つくっていったのではないかと思うのです。
雄牛は、その後、聖なる動物として崇められました。タルクィニァのエトルリアのお墓には聖なる雄牛のフレスコ画残り、ローマ時代に入っても、雄牛がひっかいた大地から温泉が湧き出たという伝承が残るテルメ・タウリーネ(雄牛の温泉)の遺跡がチヴィタヴェッキアにあります。そして、現在もソヴァーナの大聖堂には雄牛の彫刻が残ることは前回、記事にしました。
そして、この雄牛を敬う民族が海洋民族であったと思う理由はその侵入経路によります。湖の近くには、エトルリア時代の重要な都市ヴゥルチやソラーノ、ピティリアーノを通過するフィオーラ川から北から南に向かって流れています。ボルセーナ湖を南から北に向かった雄牛ですが、この雄牛を敬う民族はこのフィオーラ川を遡っていったのだと思うのです。なぜなら、このフィオーラ川が海に出る場所の地名は、Montalto di Castro。Castroは、中世の時代につくられたCastrum(兵営)を意味しています。それでは、高い山を意味するMontaltoは?この海岸沿いの地に高い山などはありません。しかし、ここからフィオーラ川を遡ると、ここ一帯では一番高い火山アミアタ山にたどり着きます。川の河口の低地にモンタルトという名前がついたのは、この川を遡ると航海に必要な源泉がとれる高い山アミアタ山にたどり着けるという意味ではなかったのかと思ったのです。(ただ、これは100%私の考察で、どこかの文献で読んだわけではなく、全くの勘違いかもしれません。)
エトルリア人の起源については、アナトリア半島/エーゲ海地域起源説と在地発展説がありますが、火山由来のこの肥沃な大地を求めて海から移住者が全く来なかったとは考えにくいのではないかと私は思っています。そして、古代ローマに征服されるまでは、後からやってきたものは、自分達が大事にする神様だけでなく、先住民とともに大地母神を敬い、和をもって共存し、エトルリア文明が花開いたのではないかと思っています。
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参考文献:
La Religione degli Etruschi, Giovanni Feo, effigi 2011
RITO DI PASSAGGIO DELLA MADONNA DI TORANO, antico rituale Etrusco pubblicato nell'agosto 2018 sul blog "Larotta.it" di Luigi Catena