心が教えてくれる、大切なこと
今年も残すところもう90日もないのかと思うと、月日の流れは驚くほどはやい。充実感や達成感、未来を楽しみにする気持ち、ほんの少しの戸惑い。いろいろなものを連れて日々は過ぎていく。
1年を振り返るにはまだ少しはやいけれど、忘れないうちに書き記しておきたいこと。
この1年ほどは、対外的に劇的な変化はなかったものの、内面的な変化がすごく大きかった。
自分自身の特性や傾向、やりたいことについて根本から考え直したり、仕事関係を含めて人間関係について取捨選択をせざる得ない状況になったり。基本的にポジティブで楽観的なわたしにしては、自信をなくして深く落ち込むような出来事が何度かあったようにも思う。もちろん、新しいことにチャレンジしたり、知識や知見が広がったり、成長を感じる出来事もたくさんあった。
いま思うのは、そのとき自分が見ていた景色と、時間が経ってからやっと見えてくる景色があり、後者はあとから内省することでしか出会うことができない。
わたしの愛読書、サン=テグジュペリ『星の王子さま』に有名なセリフがある。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」。
では「心で見る」とはいったいどういうことだろう。
人が物事を認知するには、視覚や触覚や聴覚などを用いてその存在を確認する。でも記憶として残るものはそれだけでなく、たとえば「この人は綺麗だな」「話す声が優しい」「雰囲気が心地いい」とか、主観による感覚的なもの。それはまさに心がキャッチしている情報で、その直感みたいなものはとてもまっさらで、コントロールする余地もなく自分の中から自然と湧き起こる。
「大切なことを心で見る」とは、自分の心と深く対話すること。思い込みや勘違いを傍に置いて、「わたしの心はなにを感じている(いた)のか」と、過去の日記帳のページを捲るように、じっくりと見つめる。素直な感覚を疑わず、自分の都合で感情を上塗りせず、当時の心の状態を記憶の中で再現してただ味わう。そのときの自分には見えていなかった大切なことを見つけられたら、それは宝物になる。
こんなところにずっと、こんなにキラキラ光っていたのに、どうしてわたしは見えていなかったんだろう。見えていたのに、見ていなかっただけ。眠っていただけで、ずっとわたしの中にそれはあった。変わらずにいてくれてありがとう。
人との出会いや出来事、ひとつひとつを間近で見るとその意味や役割を強く意識しないけれど、いろいろなことがあとからつながって、どれかひとつでも欠けていたら「いま」はなかったと思える。全部が必要で必然で、大切なことが見えていなかった鈍感な自分と、やっと見つけられた正直ないまの自分。感謝と感激とちょっとした不甲斐なさもあり、でもだからこそ人間らしいのかもしれない。
自分の心に正直であること、素直であること。そして素直になれるのは、それを喜んで受け止めてくれる人がいるから。自分が自分でいられる心地よさ、どんな自分でも許されるという安心感。目に見えなくても、その感覚を忘れずにずっと大切にできたら、きっと大丈夫。