あの日の小学生が、高校生に。あの日の中学生が、ママに。
東日本大震災直後から、岩手県陸前高田市に通わせてもらっている。
写真は2011年3月、高台から見つめた市街地だ。ここにどんな建物があって、どんな営みがあったのか、この光景だけでは想像することも困難だった。
あれから8年。先日、市内の中学校の卒業式にお邪魔してきた。この日の卒業生は、2011年3月11日、小学校1年生だった子どもたちだ。
米崎小学校の校庭に作られた仮設住宅で出会った、佐藤あかりちゃん。
2011年末、仮設住宅の中庭でのお餅つき。左から二番目があかりちゃん。
3年前、小学校卒業式の日、同じ仮設住宅の中庭にて。
今年の3月14日、高田東中学校の卒業式。あかりちゃんの足に注目…!
あかりちゃんは小学生の頃から、よく年下の面倒を見る子だった。ある時、大雨で仮設住宅の方々が避難所に集まったときは、率先して毛布や物資を配っていた。
たくましく育ったね。でもふと悲しくなったり、羽を休めたくなったとき、ほっと一息つける場所を、私たち大人たちも築いていくね。
そして岩手県の沿岸の街をさらに北上した大槌町吉里吉里では、釜石望鈴ちゃんにお世話になってきた。東日本大震災当時は中学2年生、私が出会ったのは高校に入学後だった。
大槌町にて。更地となってしまった場所に咲き誇るコスモスの花と共に。当時、望鈴ちゃんは高校生。
そして、今年の3月10日、彼女はお母さんになった。
変わりゆく街の記録を続けてきた彼女は今度、新しい命にシャッターを切りながら、どんな瞬間を重ねていくのだろう。
8年という月日を噛み締めながら、ファインダー越しに二人を見つめた。望鈴ちゃん、赤ちゃんのこれからが、少しでも穏やかでありますように、と。
岩手県沿岸の復興の歩みは街によってもばらつきがある。ただどの街も、全ての人たちが「日常」を取り戻す日はまだ遠いように思う。だからこそ見つめていきたい。彼ら、彼女たちが安心して大人になり、安心して自身の子どもたちを育てられるようになる、「これから」を。