「音楽に政治を持ち込むな」がすでに、政治性を帯びているということ
先日グラミー賞を受賞したチャイルディッシュ・ガンビーノの「This Is America」MVは、実際に起きた黒人への暴行、射殺事件を思い起こさせる、細部にわたって社会を風刺する映像だった。
このMVはその後、「This Is Nigeria」「This Is Iraq」とリメイクを繰り返され、各国で社会に鋭く切り込んでいる。
(一部衝撃的な映像もありますので、ご注意下さい。)
自分が大学生の時に何度も観てしまったMVはこれ、Kasabianの「Club Foot」だ。「プラハの春」など、当時の社会模様を描いたとされている。
衝撃的な映像を含む「This Is America」のMVが賞を受賞したということは、少なくともその衝撃を共に受け止める社会の土壌がそこにある、ということなのかもしれない。
ある時、洋楽が好きな高校生が、「戦争をテーマにしたMVや、アーティストの社会的活動を追っていくうちに、国際問題に興味を持つようになった」と話してくれたことがあった。
ひるがえって日本はどうだろう。アーティストが何か社会的な発言や表現をしようとすると、これまでどうしても「音楽に政治を持ち込むな」とバッシングされがちだった。ただそもそも政治的表現や発言をタブー視すること自体が、すでにとても政治性を帯びたことだということに気づきたい。私たちの日常で、政治に無関係なことなどないのではないだろうか。
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