『イカゲーム』とジェンダー
Netflixで、『イカゲーム』が記録的なヒットとなっている。
多額の借金を背負う者、人生の終焉が近い者、社会に行き場のない者たちが、ある日突然、謎の男に声をかけられ、「一攫千金」のゲーム大会に誘われる。破格の賞金に目がくらむ参加者たちだったが、彼らが足を踏み入れたのは、脱落すれば生きては外に出られない、命がけのゲームだった。
それでも彼らがこのゲームにかけたのは、一歩外に出たところで、そこが「地獄」だと分かっていたからだ。
ひとつひとつのゲームは、「だるまさんが転んだ」など、子どもの頃に親しんだものばかりだ。そのゲームに宿る、幼い頃のほのぼのとした思い出と、実際の血塗られた現場とのギャップには、眩暈を覚える。
残忍な描写が多いが、視聴者数は1億人を突破し、様々な社会現象を引き起こしている。
ウォール・ストリート・ジャーナルの記事の中で、ファン・ドンヒョク監督は、コロナ禍での格差拡大が背景にあると言及している。
(この先はネタバレも含んでいますので、「まだ見ていないから先を知りたくない!」という方はご注意下さい。)
このゲームの参加者の中に、ハン・ミニョという女性が登場する。激しい性格の持ち主で、時にまくし立てながら相手を罵る。
初回のゲームが終わった後、「子どもが生まれたばかりで、まだ名前もつけていない」と彼女が命乞いするシーンがあったが、背景について詳しい描写はない。
やがて参加者たちは生き残りをかけて、数人のグループを作って身を護るなど、知恵を絞りはじめる。
中でも、身体的な意味で力のある男たちが、徒党を組み、他の参加者を欺いたり、襲撃するなど危害を加えはじめる。
ミニョはそのグループの「ボス」に近づき、体の関係を持ち、生き残りをかける。そしてあっさりと裏切られ、今度はその復讐に燃える。
私は見終わった時、「女性はいざとなった時、性を売る」という偏見が植え付けられたようで、正直、不快感が残った。ただ考えを巡らせるうちに、ふと、初期の頃のシーンが頭に浮かんだ。
最初に「ボス」に近づいた時、彼女は性的な言葉を投げつけられながら、「ボス」やその取り巻きに嘲笑われていた。その時、ミニョは彼らの態度や言葉を、笑って受け流してはいなかった。「モノ」として扱われる屈辱と怒りに、ただじっと耐えているように見えた。
ゲームの主催者は、「このゲームは平等だ」と繰り返す。けれども実際には、体の力のある人間たちが有利なゲームが仕込まれており、女性や老人は忌避され、疎まれる対象となった。
主催者たちにとっての「平等」とは、ただ「チャンスを与えた」ことだった。この点も、今の世相を如実に表しているように思う。
ミニョはその与えられた「平等」の中で、男性たちの搾取や差別、屈辱を感じながらも、それを引き受け、むしろ利用することが、自分の生き残る唯一の選択肢だと思わざるをえなかったのかもしれない。そんな構造的な暴力が、彼女の背後にあるように思えた。
劇中では他にも、性暴力の被害者が社会的に孤立していく問題を示唆する参加者も現れる。解釈の仕方は見る側それぞれにあるが、背後に見え隠れする社会構造も、改めて見つめてみたい。