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遺書No.941 恋愛論再提出。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2007.2.6
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あれは先月末でしたかね。
『みーくんの恋愛論を聞いて見たい』というコメント欄やマイミクの皆さんからのご要望お答えして、書いてみたんですけどもね。

『却下です。』
『意味が分からない』
『やり直し』

そんな声を多く頂きました。
どうやらお気に召さなかったようです。
あれのどこが恋愛論なのかと。
ゆえに今度はベタベタな表現で書いてみたいと思います。

こんばんわ、みーくんです。


さて、改めて再提出しろとの事なので、
あくまで個人的な、
しかも独身の29歳の浅はかな考えですが
自分なりの恋愛論を書いてみるとしますね。

試みに、舟に例えてみます。

舟と言っても、
タンカーとかクルーザーとか、
動力(エンジン)を持つ舟じゃなく、
手漕ぎのボート。
手漕ぎの二人乗り用ね。

二人乗り用と言うのは、
二人で並んで座って漕げるボート。

そう、愛と言う海を二人で漕いで進むと考える。

何処に進むのか、何を目指すのかは二人次第。
大切なのは、二人で漕ぐということ。

舵取りや船頭は女性で、
男性はひたすら動力となって…
なんてのは愚の骨頂。

愛の海を進む事において、
役割分担なんて不要。

そんな事したら、
『お前がちゃんと前を見てないからだ』とか
『あなたの漕ぎ方が遅いのよ』とか、
後々責任の擦り付け合いになるから。

二人で漕ぎましょう、二人で。

いい時、いい状態、ってのがあります。
これがあるから、ここを経験してるから、
やめられないんです。

波も穏やか、進路も速度も思い通り、
遠くに低い雲が見えていても
二人なら充分対応出来るという自信。

いい時ってのは、
漕ぐ呼吸もぴったりだし、
相手が疲れてるのも隣で解るし、
優しく労ってもあげられる。
全てが、自然に進んで行きます。

男と女、生物学的に体の作りも違うし、
色んな意味で個人差がある生き物なのだから、
漕ぎ方に違いがあるのも当然です。

彼の方が猛スピードで漕いでしまう事もあるでしょう。
彼女の方が一途に漕いでしまう事もあるでしょう。

だけど、いい時というのは、
互いのペースや漕ぎ方を
自然に調整できるものです。

『今は僕が力を落として彼女の速度に合わせよう』とか
『頑張って彼のペースについていきたいの』とか、
二人で漕ぐ事の意味を自然に体現して、
その幸せを実感するでしょう。

ただし、愛の海は、
全ての恋人達に平等に優しいとは限りません。

凄く息が合っていて、
最高の航海をしてる二人なのに、
高波を寄せてみたり、
愛の海を漂流する一人乗りのボートを近づけてみたり、
残酷で過酷な試練や運命を与えてきます。

それが、悪い時、悪い状態、ってやつです。

さぁ、二人の乗ったボートにトラブルです。
どうします?
二人で支え合って頑張って漕いで、
高波に挑みますか?

そういう風に、二人で挑もうと思えるうちは、
まだ大丈夫なんです。

深刻なのは、
二人とも漕ぐ事に疑問を抱いたり、
漕ぐ意欲を失いかけたり、
互いの事が信用出来なくなった時です。

二人そろって漕ぐ事をやめたなら、
ボートはただ海を漂うだけでしょう。

やがてどこか陸に漂着して別々に歩き出すか、
もしくはボートを捨てて、
それぞれが泳いで別のボートなり陸を目指すしかなかなるかも知れません。

しかし、まだ完全に二人が漕ぐ事をやめた訳でもなく、
諦めた訳でもない時はどうします?

例えば、どちらかが漕がない・漕げない時、
どうします?
そりゃぁ相手の分まで頑張って漕いで、
目指すべき先へ進む!
と言いたくなりますよね?
でも、一見すると正しく、
愛が深いように見えるその判断も、
もしかしたら多くの場合がダメなのかも?
と思います。

なぜなら、
二人で漕ぐから、愛なんです。
二人で進むから、幸せなんです。

再び相手が漕げる様になる為に、
どうするべきでしょうね?

もう漕がないんじゃないか、
航海は終わるんじゃないか、
そんな不安や猜疑心が渦巻く中で、
いい時の事が頭をよぎる筈です。

そして、隣で漕ぐのをやめてる相手を見て、
まだ漕げるんじゃないか、
また漕ぎたいと願う筈です。

ただ、気を付けないといけないのは、
その願いや思いが強過ぎて、
一人でやたらめったら漕いでしまう事です。

ボートの片方だけ必死に漕いでごらんなさい、
ボートはその場でグルグル回るだけです。

何とかしようという気持ちは、
汗となって流れますが、
相手も自分も目が回って、
今何処にいるのかすら解らなくなってしまいます。

漕ぐのを一旦やめる。

これは正しい対処の一つだと思います。
待つ、と言ってもいい方法です。

諦めや嘆きじゃなく、
少し波にボートを任せてしまう事も、
必要な勇気であり優しさなんです。

進むべき道から逸れる事になるかも知れない。
だけど、1人で漕ぐよりは、
再び相手が漕ぎ始めてから修正すればいい、
それだけの事かも知れない。

たぶん大事なのは、
ボートがどの方向に流されようとしているのか、
進むべき方向、目指すべき方向を、
見失わないように注意しておく事かなと思います。

そして相手が漕げない・漕がない理由や原因を、
しっかりと受け止めてあげること。

場合によっては陸に上がる事も必要でしょう、
いわゆる距離を置くってやつです。

でも、ボートからは降りたくない、
と互いに思ってるなら、
勇気と優しさを持って、
漕ぐのを一旦やめてもいいんです。

二人で漕ぐんです。
しつこいようですが二人で漕ぐ。

元々真っすぐに進んだりはしません。
どんなに呼吸が合っても。
力も違えば技術も体重も風向きも、
その時々で変わったりもするんです。

つまり最短ルートみたいな道を真っすぐに進む、
なんて必要がそもそもないんだと思います。

漕ぎ方に偏りがあって左にズレてるなら、
座る位置を交替して右に寄せればいいんです。

ジグザグしたとしても、
二人で漕が限り、
その航海はきっと楽しくて幸せな筈。

そうそう、
思い切って進む方向を変えたっていいんですから。


愛の海は深いです。

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2024.11.9
毎日遺書を書き始めた当時941日目の投稿内容。
当時はボクは29歳になった直後で、46歳になった今からは17年半も前に書いた内容という事になる。
独身の頃に書いた内容にしては、当時の自分の考えがさほど的外れでは無かったのかなと思う。
ただ、子どもの存在には触れてないし、実際には二人乗りの手漕ぎボートから、家族でなれる舟への乗り換えが必要だし、そうなると手漕ぎではただ進むことさえままならなくなる…。
そんな事にはまだ考えが及んでない部分に若さを感じるなぁ…。笑


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ナツキのパパ@令和の父親アップデート作戦中!
過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。