子連れパパが公園で覚えた安堵と違和感、そして広がるモヤモヤ。
こんばんわ、ナツキのパパです。
昨日は、次男4才と長女3才を連れて、
そこそこ近くにある公園に遊びに行きました。
ちょっと話が散らかるのですが、
そこで2点、思った事を遺しておこうと思います。
1.登園拒否しても息子は健全です。
遊具やシャボン玉でひとしきり遊んだ後で、
次男は不意に、3人組で遊ぶ小学4〜5年生くらいのお姉ちゃん達を見つけました。
すると次男は、仲間になりたそうな目をしながら執拗に後を付け回し(汗)、
お姉ちゃん達に多少の困惑を与えながらも、
最終的には鬼ごっこに混ぜて貰うことに成功していました。
※色々と思うところはありますが、
ここではポジティブな面に注目です。笑
そんな次男を見て、ボクは改めて思いました。
皆と同じ様に、同じ場所で同じことをする、
同じレベルで出来るようにする事だけが教育や成長じゃない。
皆と同じ事が出来ないとか、我慢できないとか、
覚えるのが遅いとか、集中力が足りないとか、
それで将来が不利になるなんて決定事項になり得ない。
不登校の長男の影響か、次男はここ半年ほど、
園を休みがちになり、何となく1日置きに休むペースに。
※登園を嫌がるのを無理やり行かせての結果ではなく、親の伝える「希望」なども考慮した上で自分で行く日・行かない日を決めてるみたい。
そんな次男に関して、預ける園との間では、
方針やら理念やら「健全な保育」のためにと話す機会を何度か設けられましたが、園としては「頑張って連れて来てください(休んでもいいよとか、来たい時だけ行けばいいよとか、気紛れなペースを肯定するスタンスを前提にされると困る)」という事と「スムーズに小学校にあがれるように皆で一緒に頑張る事の楽しさや大切さを経験させたい」のが希望との話でした。
もちろん、待機児童とか抽選の事とか多面的な意味では分かるし、一見すると耳障りも良く共感しやすい響きなんですが、ボクと妻の考えでは、園の主張する理念やら方針の中に、本人の行きたくないという意思表示を尊重する事よりも大切な価値は見出せませんでした。
※この辺も、そのうち改めて個別に書ければと思います。
そんな中、自分が遊びたいと感じた相手に対し、積極的に自分の意思を示し、挑んで行く姿(しかも、ちょっと迷惑そうにされたり、それでも尚めげない姿)は、ボクの目には頼もしく、とても健全な経験と成長過程を経ている様に見えたし、誰にでも出来る事ではない強み、大切にしたい彼の特性をそこに感じました、というお話です。
2.未だ時代遅れなパパフィルター。
お姉ちゃん達の後を付け回す危険な男を見守りつつ、
長女をブランコに乗せて押して遊んでいたら、
疲れたのか言葉少なげになったので「そろそろ帰ろうか?」と声を掛けた直後でした。
隣のブランコに、もうすぐ2才になる男の子を連れたママがやって来ました。
「こんにちわー(^。^)」
「こんにちわー(^。^)」
初対面ながらお互いにご挨拶を交わした後、
「すぐにその場を離れたら何か誤解させたり感じ悪いかなぁ」
とか思って少しそのまま揺らしていると、
そのママが、ボクに話しかけてきました。
最初は、ブランコを楽しむ子ども達の様子を見て、
共感覚からこぼれでる会話とも呼べない会話でしたが、ふいにこう言われたのです。
「お子さんと公園で遊んであげて、
いいパパですねぇ(^_^)」
・・・いやいや。
ママ抜きで子どもと公園に行った時って、
他のママや、公園にいるお婆ちゃんとかに、
これって割とよく言われるんですよね。
特に、下の子が赤ちゃんの頃とか、
抱っこ紐を使っていた頃なんかは特に高確率で言われました。
「優しいパパ」とか「良いパパ」とかその類の。
たぶん、子どもと公園に行くパパあるあるの1つだと思います。
でもこれって、もう、今更?じゃないです?
未だに?ですよね?でも事実、未だになんですよ。
別に言われても悪い気まではいかないし、
言う側(それが普通たりえない環境にいるママ)の気持ちや背景も想像つくし、
地域性とかも大きいかなと思うから仕方ないとも思う。
けど、流石にイクメンて単語も経年劣化しまくり、
もはや嘲笑で使われるケースの方が多いぐらいの昨今、
まだそう感じる人がそんなにいる??
まだ世間の家庭ではそんなセリフが出ちゃうぐらい、奥さんのワンオペ育児が多いままなんだ、と思わされる。
なんか、悲しい気持ちになるよね。
もしも普段は全然子どもと公園とかなくて、
たまたま珍しく行ったパパなら、言われて少し誇らしく感じたりする人もいるかも知れないけど、
それが珍しくないパパなら結構複雑な気持ちになってると思う。
しかも、この「良いパパですね」とか「優しいパパですね」という微妙な褒め台詞(?)って、なんなら、奥さんと一緒に行った時でも言われたりしてると思う。
※きっと言われたパパの大半は、心の中で
「せめて奥さんがいる時は言わないでくれ!」て思ってると思う…
公園に連れて来るのが良い・優しい・素敵なパパなら、
公園に連れて来てるその数千数万倍のママはもっと素敵で尊い事になるのだけれど、パパの方にフューチャーされる事の違和感。
現在もママのワンオペ育児はもちろん大問題で比較にならないけど、
そんな中で、この旧世代や旧文化と今時?の考えの方との間にいるパパも、意外と複雑な思いや板挟み感やモヤモヤを覚えてるんじゃないかなと思う。
また、これとは逆のケースだけど、結果的に同じような違和感やモヤモヤを感じる瞬間て沢山あって。
例えば、奥さんが出産で入院した時の園のお迎えの時とか、
「登園カバンの準備とか大変だと思いますが、必要なモノや中身を連絡帳に書いておきましたので、分からない事あったら聞いてくださいね」
とか丁寧に言われたり。
いや、登園カバンの準備とか普段からやってますし、毎日名前書いてるのそれボクの字ですから…と言いたくなったり。
この、パパは育児に参加してない前提に関して、
そう思われる悲しさと、未だそう思われる程に世間が変わってない事の悲しさ、がありますよね。
まぁ、イクメンという造語の功罪というテーマについねは、書きたい事が多すぎるから今回は控えるけど、個別にまた書きたいと思います。
※あー、スマホからで書きにくい!
まぁ、なんにせよ、
『筆舌に尽くし難い圧倒的な高ストレス&忙殺的業務量、更に無給&無休の完全ブラック企業型労働で、当然ワンオペ。しかも限界間際の危機意識と生存本能にもたらされた僅かな休息すら「育児放棄」扱いされる』
世間のママ、母親像がこんな状態のうちは、
『休日にちょっとエルゴで抱っこして外歩いたら「イクメン」扱いされる。』
こんなパパ、父親への異常な認識も続くのかな。
モヤモヤするなぁ。