アトピー性皮膚炎という名の悪魔。
我が家の長男・ナツキくんは、アトピー性皮膚炎。
それも、2歳になった時には既に明らかになっていた、
9歳にしてアトピー歴8年の大ベテランだ。
彼よりも症状が重い人はもちろん沢山いるだろうし、
比較の意味は含まないけれど、症状、重い。
アトピー性皮膚炎…。
今回は、アトピー性皮膚炎の子どもを持つ親としての、ただの愚痴。
そして懺悔の気持ちの告白です。
***
連日連夜の惨劇、襲いくる痒みという名の悪魔。
自分自身のアトピーも本当にキツイけど、
小さい子のアトピー性皮膚炎も、本っっっっ当に、キツイ。
精神的にも、物理的にも、とにかくもう、
とんでもなくキツイ、の一言だ。
なんというか、「終わりなき闘い」って感じ。
言の葉に乗せるだけで忌々しく、
本人も親も苦しめる大悪党な風格。
第二次性徴期の頃に症状がある程度まで治まる例も多いと思うけれど、少なくとも現時点では、本当に「終わらない」という表現がしっくりくる。
常に、体中のあちこち、掻き毟り、皮膚が剥け、爛れ、
生々しく、痛々しく、血にまみれ、かさぶたが出来る間もなく繰り返し。
夜な夜な全身を掻きながら呻き声を上げたり。
朝起きると、シーツはもちろん、枕も、毛布も、掛け布団カバーも、彼の寝具は常に血だらけで、そこかしこに、洗っても落ちない血の跡が赤褐色の斑点となっており、その斑点は日に日に増えてゆく。
そして布団の上や寝具の周り、脱いだ服には、いつもボロボロに剥けた皮膚の欠片が付着していて、それらが視覚的にも追い詰めてくる…。
***
本人だけではない、親の闘い。
ボク自身、幼少の頃からアトピーだったので、彼がボリボリガリガリと体を掻く音で夜中に目が覚め、暗闇の中で薬を塗りながら「遺伝」の事を考えだしてしまったりすると、とても申し訳ない気持ちになり、泣きたくなる。
自身の経験からも、あの猛烈な痒みの恐ろしさは知っている。
どれだけ「掻くな」と言われても我慢なんて出来ないし、抑えられない。
それでも、ある程度の年齢になれば痒みを「誤魔化す」ことに多少の工夫が出来るものだけど、彼の年齢以下ではそれは無理な注文でもある。
そう、彼の苦しみは、分かる。
だが、しかし。
にも、関わらず、だ。
彼の苦しみが分かる一方で、親の立場としては、「こんなに頑張っているのに治らない」という悲しみ、そしてアトピーの理不尽さに対する怒りの中で、アトピーにではなく、彼自身に対する怒りも湧いてしまったりするから、恐ろしいのだ。
「あなたの為に薬を塗ったり、声を掛けたり、自分たちはこんなに頑張っているのに、当の本人である筈のあなた自身が、どうしてもっと予防意識を持って、頑張ってくれないんだ!!!」
必死に頑張っているのに、彼は、
・アレルギーを抑える飲み薬を、未だに飲み忘れる。
・お風呂上がりの塗り薬を、未だに丁寧に塗れない。
・言われないとやらない、言われても中々やらない。
こういった事が毎日、繰り返される中で、どうしても猛烈に腹がたち、怒りに駆られて声を荒げてしまうことがある。
考えてみれば、まだ小学校の低学年だ。
そんなに完璧に出来る訳はない、と自分に向かって諭すように言い聞かせたりも勿論する。
でも、もう何年その生活を続けているのかと。
未就学児だった頃はともかく、小学校にあがり、自分で色々できるようになっているのだから、5年も6年も続けているのだから、流石にもう、食後の薬やお風呂上がりの塗り薬ぐらい、体で覚えていてもいいだろう!!
彼のアトピーに対して、心を痛め、時間を割いている分だけ、怒りや悲しみも大きくなる。
辛抱強くというより、逃げ道がないので仕方なく、頑張って医者に連れて行き、薬を塗り、掻き壊さずに済むように声を掛け、夜中も何度もさすったり、薬を塗ったりしながら、彼の為に頑張って向き合っているのに、少し目を話すと本人がまた掻きむしっている。血とカサブタで爪を黒くしている。
いつまで経っても治らない。少し良くなったな~と思っていても、仕事から帰って彼を見たらまた悪化している。
破壊衝動にも似た、暴力的なまでの猛烈な痒み。
アトピーのあの耐え難い痒み、如何ともし難いその苦しみを、
ボク自身も知っている筈なのに、本人に非がないことは知っているけれど、
アトピーへの怒りよりも、この「彼に向かって沸き起こる怒り」。
書きながら思ったけれど、この「彼に向かって沸き起こる怒り」こそが、
自分の罪であり、そして当然ながら彼を苦しめる事に繋がる、最大の悩みといえるかも知れない。
何とか、感じないようにならないものか。
苦しんで可哀想だと思う気持ちもあるのに、
ぐちゃぐちゃに爛れた皮膚を掻き続ける本人を見ると、
言っちゃいけない、と分かっているのに思わず、
「掻くなって言ってるだろ!!」
と責めてしまう気持ち。
この気持ちはどうしたら感じずにいられるんだろう。
我慢できずに掻いて、父に叱られて泣きそうになる彼を見て、胸が激しく痛み、強烈な自己嫌悪の渦に呑み込まれ、強く言ってごめんと言いながら、薬を塗る…。
そんな日々の繰り返し。
しつこいようだけど、文章も同じことの繰り返し。
だって、愚痴だから。
「そんな事を言ったら可哀想、本人は悪くないのに」
そんなことは、ホントに、頭では分かってる。
それなのに、毎日毎日、ぐちゃぐちゃの皮膚に薬を塗りながら、
塗っている最中にも既に別の場所を掻き続ける息子を見ながら、
「痒くなったら●●しようね~」と声をかけながら、
毎日毎日繰り返される同じセリフと同じ光景に溜息を堪えながら、
皮の下が剥き出しの場所は薬がのらないことに苦戦しながら、
涙が出そうになるのを堪えながら・・・
「今夜は出来るだけ掻かずに寝てくれたらいいな…」
「少しでも良くなってくれたらいいな…」
今日もまた、「祈りながら」日々を過ごしている訳です。
※至る所がゾンビ映画の特殊メイクのようになっているのを見て、胸が痛む。
変われるモノなら、変わってあげたい…。
***
闘う敵は、「痒み」だけじゃない。
これは、シーツや服の洗濯とかアトピーで発生する作業量ももちろんなんだけど、その他に、精神的な闘い、周囲の人との関係性にも影響が出る。
*
例えば、慢性的な寝不足。
これも辛かった。
これはその他の精神的な辛さに対する、余裕の無さにも繋がるので、結構大きな問題だと思います。
*
例えば、下の子の存在。
今でこそ下の子もそれなりに大きくなり、一度寝付いてくれたらそうそう簡単には起きないのだけれど、まだ下の子が乳児だった頃は、夜泣きだったり、あるいはナツキが痒がっての呻き声や、それに反応する親のイライラした声や動きで、連鎖的に下の子も泣き出したり。これも辛かった。
*
例えば、皮膚科の先生との相性。
信頼できる先生、皮膚科に出会えるかどうかは、本当に大きい。
基本的に通院関係は妻にお任せ状態だったけど、当時まだナツキは2歳にも満たなくて、世話になる皮膚科も定まっておらず、色んな皮膚科を探すように受診してた頃にかかったある医者では、本当に辛い思いをした。
先生はろくに話や悩みも聞いてくれず、やり方の説明しかしないし、こちらとしては出来ることをきちんとやっているし、それでも良くならないから縋るような想いで通ってるのに、治らなくて苦しんでるのに、まるで「あなたがちゃんとやってないからでしょ?何やってるの?」と責めてくるよな話し方をされたり。
先生によって勧める対処法がやや異なる事もあるけど、患者として医者に求めているのは、「治す方法」も勿論なんだけど、それ以上に「この人にお願いすれば大丈夫」と思わせてくれること、安心感を与えてくれることなんだよね。
だから「不安と苦しみに包まれた患者の想いを受け止め、心に寄り添ってくれるか」が何よりも大切だと思っている。
*
例えば、周りの人からのアドバイス。
親戚をはじめ、同僚や、友人など、誰かと子どもの話になるど、流れで彼のアトピーの話になったりする。
それで近況というか、アトピーの状態などを話すと、やはり親しい人ほど、心配してくれたり、アドバイスだったり、自分の知る限りの情報を持って、力になろうとしてくれる。
・・・のは分かるんだけど、有難いのだけれど、これは勿論、大部分は善意からな訳だけれども、それが結構キツかったりする。
どういう事かというど、
当然の事ながら、専門知識を学んだ医療従事者でも無ければ、当事者より詳しい人なんてまずいないし、見知った状態は信憑性や根拠に欠ける事も多いし、何より既に知っている事が殆どになる。
また、そんな中で、悩みながらアレは?コレは?と試行錯誤して苦しんでる中で、前述のような半端な知識から「アドバイス」されると、他人事の無責任な言葉に聞こえてしまったり、ダメだしされたような気持ちになったり、本人に悪気がない事は分かっているのに、辛かったりする。
また、悪気がない事が分かるからこそ、「余計なお世話」とは言い難いモノだし、嫌な気持ちになっている事を悟らさないように気を使うことに疲れるからだ。
「○○が良いって聞くよね」
「●●とかはやってる?」
この、アトピーの症状に対するアドバイスをいただく瞬間が、ツライ。
これはたぶん、アトピーのお子様を持つ親御さん達なら、皆分かって頂けると思う。
また、善意に対して疎ましく思う自分にも嫌な気持ちになるんだよね。
***
切なる願い。
ただの愚痴、弱音の吐き出しだから、誰かの役に立つよな事は何も書いてないけれど、とにかく、オモウ。
アトピー性皮膚炎。
これだけ医療が進んだ現代で、
未だ完治(苦しみから解放)することが出来ない症状。
早く、苦しみから解放してくれる薬が出ることを、切実に、願っている。
早く、早く、早く、早く、早く・・・。