遺書No.943 遠距離恋愛論
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2007.208
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遠距離恋愛は、大人にこそ相応しい。
自ら好んで遠距離を選ぶ人は殆どいないだろう。
出会いや年齢など色々理由はあるにしても、
望んで遠方の人と付き合いたいとは思わないだろう。
だが、出会ってしまい、恋をしてしまう。
そうして始まる形が殆どだろう。
こんばんわ、みーくんです。
恋愛において、特に遠距離恋愛(以下、遠恋)を成功させるには、大人の魅力が必要だ。
そう、無鉄砲な若者にはなかなか難しい。
なぜなら、遠恋には、特有の「心得」が求められるからだ。
その心得のない、気まぐれで、誘惑に弱く、情熱的なくせに寂しがり屋な若者には、遠恋は手に負えない。
短期間であれば、好奇心や新鮮さも手伝って成り立つこともあるだろつが、現実の前にやがて消滅してしまうだろう。
遠恋の現実は無情だ。
愛する気持ちだけでなく、信じる気持ちさえも試されるんだ。
不安や猜疑心、躊躇、戸惑い…これらの感情は全ての恋愛に存在するが、遠恋ではその葛藤が格段に多い。
なぜなら、すぐに会えないから。
「今何をしているんだろう?」
「どこで誰と会っているんだろう?」
「本当に自分のことを愛してくれているか?」
「これから先、どうなるんだろうか?」
そんな不安が募るもの。
愛とは、時に無条件で信じることであり、それが信頼の試金石となる。
私が思うに、遠恋において大切なのは、
「現実」と「言葉」と「信頼」だ。
多くの遠恋カップルは、日々メールで想いを交わしていることと思うが、そこには落とし穴が潜んでいる。
メールというのは、受け取った側の解釈に大きく依存するツールである点だ。
例えば、
「ちょっと用があって出かけてくる」
という言葉と、
「ちょっと用があってメールできない」
という言葉では、
受け取る側の感じ方は全く異なるだろう。
互いの「現実」をしっかりと知り、伝えることが重要になる。
これを怠れば、遠恋は続かないのだ。
つまり、遠恋を成功させるためには、現実的なやり取りをすることが大切だ。
「○○へ行ってくる」
「△△と会っていた」
「これから仕事」
「これから帰る」
このような互いの生活リズムを覚えるほどの現実的なやり取りが、遠恋を楽にするだろう。
メールの性質上、受け取った側の解釈で成立してしまうことは仕方のないことなので、自分の気持ちや想い、その考えを伝える努力をしなくてはならない。
言葉は、時として現実を超えて真実を伝える力を持つ。
また、遠恋では「好き」という気持ちだけでなく、その気持ちをどのように伝えるかも重要だ。
直接会っているならば、言葉にしなくても仕草や表情で伝わることもあるが、メールや電話では意識して伝えることが大事だ。
普段会って話せないからこそ、メールや電話で様々な話をする。
互いの気持ちばかりやりとりしていると、やがてその「好き」という気持ちに負けてしまうんだ。
のめりこむのは良いことだが、のめりこみ過ぎてしまうと、ただただ好きなだけでは負けてしまう。
情熱は燃え盛る炎のようなもの。その熱を如何に持続させるかが鍵となる。
日々のやり取りを通じて、互いを信頼し合い、同じ夢や目的を共有することが大切なのだ。
大きな将来的な夢も良いが、まずは手が届く夢や目的が必要だ。
会う、手紙を書く、何かを送るなど、手が届くことから始めて、それがやがて大きな将来の夢へと繋がるのなら、確かな信頼関係が築けるだろう。
こんな面倒臭い恋愛、若者には難しい。
こんな楽しい恋愛、若者にはもったいない。
自分を高め、自分を知り、思いやりを持ち、愛することを試されるのが遠恋だ。
そこで得られる喜びや幸せは、大人にこそ相応しい。
遠恋は、大人の恋愛だ。
好きな人が、ただ遠くにいる、それだけのこと。
そう素直に受け入れられる大人にこそ、相応しい恋愛の形なのだ。
本当の愛は、距離に関係なく心の中に存在するものである。
遠恋は難しいが、楽しい。