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遺書No.296 能書き。

※この記事は、2004年7月6日から2009年7月5までの5年間、とあるブログで毎日投稿していた「遺書」の中から、とある1日を抜粋して転載したものです。

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2005.4.28
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偏った視点でみれば、
裕福=幸福
とは限らないけれども。


それでも間違いなく裕福だ。
お金がなくても幸せはある?
お金があっても幸せとは限らない?

そうかも知れない。
でも、本当にお金がない文化・社会・国家の中で生きる人々にすれば、一握りのお金がある、それだけで大きな幸せと呼べる。


そんな事を今さら・・・だけれども。
そんな事も、分からない人が多すぎる。

でも、それも当然の事とも言えるし、
罪悪を感じるべき事だとも一概に言えない。

所詮一つの視点でみた、
一つの価値観に過ぎない。


一握りのお金を
一握りの人に与えても
社会でみれば、なんら変わりなく
その一握りの人の将来を変える事もできず

無力。
そして自己満足。


それでも


一握りの感情論が
一握りの人に
一握りの幸せを与えられるなら

一握りの人にさえ幸せを与えられないよりは
遥かにいいといえるだろう

たった一瞬だけの幸せだとしても
勘違いだとしても
誤魔化しでしかなくても


たった一瞬の夢さえ見れないよりはいい


頑張って勝ち得た和平が、
見せ掛けだけの
次の戦争までの布石だとしても
10年と続かない和平だとしても

たった一日の間だとしても

その一日分の戦争が回避されただけで
価値があると思う

それに似てる

一人じゃ社会を変えられなくても
一人じゃ自己満足でしかなくても

一人も満足できないよりはいい
一人も笑顔になれないよりはいい
一瞬だけでも笑顔になれるなら
何もしないよりはいい

偉そうに机上の空論や理想論を唱えても
力がなきゃだめ?
力なき正義も正義無き力もだめ?

悪の気紛れでもいい
正義の心だけでもいい

大きな事に力及ばなくても
及ぶ範囲の小さな事でもいい

社会の壁や圧力に勝てないと嘆いても
他人の振りしても
偽善だと罵られても
富や名声の為でも
お金の為でも

理由がなくても


1000ある命の1つしか救えなくても
1000の苦しみの1しか笑顔に出来なくても


そして勿論これも、一握りの価値観。


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2021.10.20
毎日遺書を書き始めた当時296日目の投稿内容。
この辺りはボクの昔から変わらない価値観が見えるなぁ。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。