遺書No.482 情報を制すモノ・司るモノ。
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2005.10.29
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どーもこんばんわ、
風邪っぴきのみーくんです。
ふとね、思ったんですょ。
最近なんとなく真面目(?)な話しというか、普段生活していて余り会話にすることがないよなテーマばかり書いてて、色々さ、言いたい事や書きたい事はあるんだけどね、いざ書いてみるとね、どれもこれも文字にして触れた途端にね、飛躍しちゃうんですょ。
いや、飛躍だけならまだ可愛いんだけど、書き始めるとね、書いてる最中なのに脳内ではどんどん広がってちゃって、あれも書きたいこれも書きたいになっちゃって。
とんでもなぃ量になっちゃぅのね。
だから文章見るとどれもこれも中途半端だし、何が言いたいのか分からんくなってる事ばかりだし、無理やりまとめたりしてて。
あげくの果てに省略のオンパレードだったりするから、文章だと無茶苦茶中身がないとか。
脳内のさ、メカニズムの部分は勿論なんだけど、せめて思考の言語化くらいは、思い通りに出来たらいいな~と思う訳です。
この点に関しては、単純に俺のセンスの無さ故なのよね。
文才のある人もいれば、簡略化できる人もいるし。
全く以って自分のセンスの無さにウンザリさせられる訳ですよ。
別に努力次第では巧くなれる要素なんだけどね。
ただ俺が極度な面倒臭がりなので、やらないだけで。
で、話しは変わるんだけど、いつもね、俺が社会問題ぽいテーマについてタラタラと駄文を連ねてる時って、上記のような理由もあってあえて主観でのみ書くようにしてるのね?
普段なら意識せずとも、極力客観的に物事を捉えて、考えるようにしてる訳だけどね?
独り言みたいもんだから、客観的な見方で文章化されててもナンセンスな気がするのよ。
これも主観だけど。
だからいつも書きながら矛盾を生じさせてるといっても過言じゃなぃくらい、書きながら別の意見、中には正反対の意見まで頭の中で考えてたりする訳。
ま、一言でいっちゃぇば、主観=客観てのが俺の理想な訳だけど、とてもそんな頭脳も感性も持ってない訳で。
するとどうだろう。
面白い事が起きてるんだよね。
客観的なモノの見方や判断ってのは、無意識的になれば成る程、それは主観に近づいてる訳で。
要は主観を客観に近づける遊びを日々している訳だよね。
もしも主観が客観に近づいてるのであれば、別の捉え方をするとね。
矛盾を感じる時ってのは、主観の中に相反する二つのアプローチが発生してるって訳で。
これは非常に面白い。
いつも感じる事だけれど、どんなゲームよりもこの脳内でのロジック・パズルが一番楽しいと思うのよ。
あ、まただ。
話しがそれてる。
普段ね、色々日記書いてる時も思うのは、結局俺達が知ってる事実なんてのは、真実は殆どと言って良いくらい含まれてない事が多い訳で。
これは以前にも日記で書いたんだけど。
そうなるとさ、主観にしろ客観にしろ、殆どが真実を知らない状態でのインプット・アウトプットから生まれてるモノが多いって事なんだょね。
とゆー事はよ?
いや・・ここまで引っ張といて何だけど、これはまだ脳内で遊ぶ道具にしよう♪
んでね、思うの。
やっぱり、人と人とが相互理解し合うって非常に難しい事じゃん?
何でかって言語化するに当たっての能力の限界値の問題が大きいと思うんだけど、多くの場合は認識の『ズレ』から来てると思うんだよね?
で、その認識のズレを生むのも、間違った認識を生むのも、全ては真実が一つじゃない・・・一つの真実に対しても多くの事実が存在するからだと思う訳よ。
まぁ便宜上それを情報と呼ぶとね。
するとやっぱり、最も恐ろしいってゆか、強い権力者になるには、ん?安定した、独裁者、言い方は色々だけど、とにかく最も商売として強い立場になれるのはさ、『情報をコントロール出来る者』だと思うのね?
これは幾らでも社会にあって、とゆか必ず存在してて、割と身近にあって、あまり改まって認識してなぃだけなんだけどね。
大衆なんてのは殆ど彼らによって動かされてる訳じゃん?
流行のファッションも音楽もそう、文化と呼べるモノの殆どが含まれる。
メディアが一番目立ち、誰にでも分かる『情報を司る者』だよね。
でね、やっぱりこの『情報を司る者』に俺はなりたいな~と思うのね。
何も難しい話じゃなくて、ただ夢見る少年の如き願望に過ぎない話なんだけど。
でね、この情報って奴は、皆さんもご存知の通り真実である必要は全くなぃのよね。
何でもいい。
世の中は、何者かが発信した情報によって都合のいいように操られていると言っても過言ではなぃのよ。
俺はただ、操られるのが好きじゃない。
そう考えると単純に我慢ならないのよ。
『情報を司る者』になってどぅしたいって訳じゃなく、ただ自分が『操られる側』に回りたくないだけなのね。
そもそも、
世の中にある情報には、それを発信したヒトに有利になるようなベクトルがかかっている。
つまり誘導や願望が発信者の利益を計る方向性が付加されているんだ。
それを差し引けば、本当の姿が見えてくるんだけどね。
情報、特に喜ばれるのは未知・無知な分野における情報だけど、既知の事実を知ったところで誰もリアクションを起こさないだろうし。
既知の事実を覆す事実の情報も良い。
これは真実である程、大衆のリアクションはでかくなる。
未知を教えてくれる情報よりも反応はでかい。
だけど、情報はすぐに過去のモノになる。
未知・無知もすぐに既知に変わる。
情報はその価値をすぐに失う。
つまり、情報の中でも最も重宝され、求められるのが未来の情報だ。
これはニーズが耐える事はない。
情報はすぐに過去になる。
けれど未来の情報は、その時がくるまで新鮮さを損なわない。
また、未来はとりあえず、永遠と仮定しても今を生きる人には害がなぃだけの資産を持っている。
なぜなら、どれだけ未来の情報を引き出しても、資産が尽きる事がないからだ。
占いなんかが根強く人気を誇るのもそういった理由も大きいと思う。
だから究極の情報ってのは未来の情報だと思うゆだよね。
そう、俺が欲しいのは情報ってゆったけど、もっと最高なのは情報を商売にするツールなのよね。
ま、これじゃありきたりで何も珍しくなぃ話し。
そう、さっきも書いた通り何でもない話なんだ。
ただ、出来れば『情報を司る者』になりたいんだ。
そして、占いなんかじゃなく、本当に『未来の情報』というものを得られるツールがあったならば手に入れたいんだ。
マジで子供みたぃなただの陳腐な願望なんだよね。。。
そして肝心な部分は、また脳内レジャーの道具としてアウトプットされずに残るんだなこれが・・・。