我が子との関わり方、父親の役割について。
最近になって、ようやく我が子との教育というか、接し方や関わり方について向き合う機会があったので、ボク自身は元より、同じような誰かの参考になればいいなと思ったので、noteに書いて置くことにしました。
子どもの将来に対する無責任さの自覚。
我が家には現在、9歳の長男、5歳になった次男、3歳の長女、と3人の子がいて、長男はこれから9歳の「壁」を超えて10歳〜18歳のティーンを迎えることになります。
ところが父親のボクといえば、情けない事にこれまで「子育て」や「父親の役割」というものについて、本当に不勉強で、信念というか理念というか、明確に言語化されたポリシーを持っていませんでした。
つまり、ボクという極めて小さな個人の中にあった価値観だけに基づいて、その時々を「場当たり的に接して過ごしてきた」という感じですね。
ちなみに責任というのは、躾をするとか、勉強を見るとか、遊んであげるとか、そういったモノの「度合い」の話ではなくて、次のような事です。
最近は、この基本姿勢や考え方の軸について、あらかじめ明確な認識を持っておく事(また、パートナーとその認識を共有しておくこと)が、とても大切だなと思うようになりました。
ちなみに、スタンスや軸を持って置くことがなぜ大切さなのか?という点で少し補足すると、何かを教えたい時や伝えたい時にこれらの基本姿勢や軸が定まっていないと、その時々で発する言葉の方向性がブレてしまったり、言行不一致になってしまったりして(親は忘れて無自覚でも子どもは忘れていない)、言葉の説得力だったり、何より子どもが抱く親への信頼感や安心感に直結すると思うからです。
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8歳までと10歳以降で変わる親の役割。
花まる学習会の高濱正伸先生が仰ることですが、4〜8歳に大事なのは、愛や、しつけなど。
そして10〜18歳で大事なのは、師・同性の親子の関係(父と息子・母と娘)、とのこと。
子どもにとって大切な事が変わるのであれば、当然ながら親としての役割や関わり方も変える必要がある、ということになりますよね。
子ども達との健全な関係性を構築するうえでも、反抗期と呼ばれる時期に健全な成長を促すうえでも、この接し方の明確な違いについて認識する事は、大切だと思っていて、8歳までと10歳以降での親の関わり方と違いについてそれぞれ明確なスタンスを持っておこうと考えています。
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4〜8歳の教育、親の接し方ついて
4〜8歳に関しては、今は次のように考えています。
本人に大切なのは、細かい方法論とか知識を植え付ける事(ひいては学習の「結果」を求める事)よりも、まずは自分で感じる事や、考えること、興味をもった物事に「没頭」する事、それらを体験する時間を持つこと。
そして親として大切なのは、それらの自発的な興味や没頭の対象・時間について制限することなく、出来るだけ「受け入れること」と「機会を与えること」かなと思っています。
つまり、本人が好きなだけ目の前の課題(対象への興味関心)に没頭できる状況をサポート(※)すること。
「家庭=帰る場所がある安心感」があることで、興味関心を持ち、没頭する力、考える力、想像する力などが伸ばす、養えるモノと考えています。
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続いて「しつけ」に関してですが、躾といって連想されるモノって、実は慣例的なモノや、道徳的なモノ、礼儀・マナー的なモノなど、中身を考えると色々と分類することが出来て、また、文化的なモノ、倫理的なモノとか、分け方も色々あるから、線引も曖昧だったりして、そもそも何が正解なのか、どこまでが躾なのかって、考えれば考えるほどに分かり難くなったりしますよね。
なので、何が正解とか何処までかといった話はボクには出来ないけれど、スタンスとしては割とハッキリしていて、よくいわれる「他人に迷惑を掛けないように」というのとは、ちょっと違います。
基本的には、(身体的か精神的かに関わらず)他人を深く傷付けたり取り返しが付かなくなりそうな重大な行為に対してのみ、(相手を守るという視点から)事前に教える、という意味で行えば良いのかなと思っていて、そうでない事に関しては、さほど厳しく考えなくて良いかなと考えています。
なぜかというと、何をもって「迷惑」と感じるかは人それぞれだし、大人だって少なからず誰かに迷惑を掛けて生きているとも言える訳だから、それを全て排除する事を幼少期に教え込むなんて土台無理な話だし、現実的じゃありませんよね。
もちろん身体的に傷付ける恐れがあったり、精神的に重大な傷を負う・与えるような事は避けるべきだと思いますが、そのような事でない限り、事前に手や口を出して防ごうとする事よりも、(仮に本人がそれで傷付いたり後悔することになるとしても)そのまま間違いや失敗を経験させる方が(痛みも伴った方が)、本人が学ぶもの、得るモノは大きいと思っています。
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10〜18歳の教育、親の接し方ついて
10〜18歳については、相手を1人の大人(に向かっている重要な時期)として尊重し、親が子離れをすることが重要だと思っていて、その為のポイントは、前述した「師」と「同性の親子の関係」です。
師を持つことがなぜポイントなのか?というと、その理由は「価値観の展開」にあるんじゃないかなと思っています。
※ここでの価値観というのは、文化観といっても良いかも知れません。
というのは、それまでの価値観や考え方の軸というのは、やっぱり安心感の素である家庭、すなわち親の価値観や自宅の文化観にあって、それが大部分を占めていると思うんですよね。
でも、社会にでるというのは、家庭の外にある文化に触れることであり、大人になることは、社会の多様な価値観に対応すること(※必ずしも「適応」である必要はない)。
だからこそ、外に師を持つというのが、健全な成長にとって重要なポイントになるのかな、と解釈しています。
そして、一般には部活の顧問であったり、塾の先生だったりがその師になるケースが多いから、親の小言にはうるせーばかやろーと耳を傾けなくなる一方で、部活の顧問の言葉には絶対的な信頼を寄せる・・・といった構図が生まれたりする訳で、これは自立心の発露と共に、家庭の外・社会に価値観の軸を移すという過程において、とても健全な工程なんだと思えます。
したがって、我が子を信頼して、子離れすること。
そして外に師を見つけた様子があれば、それを喜び、見守ることが、10~18歳の子を持つ親の役割なのかな、と思います。
自分に向けてもう一度書くと、物事の判断基準や価値観、規範などを親以外に求めること、持つ事は、移行期の健全な形なのだから、親は子離れをする時期だという自覚を持つことが大事、というスタンスでいようと思います。
※妙齢になった息子との口喧嘩やいざこざに備えて大事な事だからしつこく書きました。笑
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また、同性の親子の関係が大事という部分については、文章にするのが少し難しいと感じているのですが、ボク(父親)の場合は、「息子に対して社会のリアルを伝えること」が役割かなと認識しています。
ここでいう社会のリアルとは、単に夢や希望を持たせる為の考え方とか可能性の話ではなくて、実際に社会に出て体験するような理不尽さであったり、不合理であったり、厳しさであったり、それらの「実体験を伴ったリアルな声」。
少し背伸びしたがりな年齢の息子を、「子ども」として話しかけるのではなく、人生の先輩として、先を歩く1人の男として伝える、という事を意識して接するようにしようと思っています。
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youtuberは、師匠になるか?
家庭の外に師を持つことが大事であることは、承知した。
でも、懸念が1つある。
我が家の長男は、現在、不登校だ。
ここからは、ちょっとボク個人の家庭の事情がより深く関わるけれど、学校内のクラブ活動や、学習塾など、何らかの集団や組織、活動等に参加していない不登校の我が子の場合は、どうやって外に師匠を見つければ良いのか?
小学校に入学当時は不登校ではなかったけれど、ボーイスカウト(の下部組織)に参加していたので、不登校になった後もスカウトの活動には参加していたりして、参加すれば同級生もいるし、大人との関わりもあったので、不登校になってしばらくは、スカウトやってて良かったな~などと思っていた。
ところが、昨年後半からはスカウトも不参加気味になり、今は辞める意志を強固にしている。
別に不登校もスカウトも、自分に合わないと判断し、自分の意志で決めることは何も悲観していないし、それ自体は別に構わないのだけれど、外との繋がりがほぼ消えた状態であることは気になっていて、何らかの形で社会との関わりを保持していて欲しいとは思っている。
相手が誰であれ、心に師と仰ぐかどうかは本人次第な訳だから、親としては、繋がりを持つ機会だけは用意できたらなぁ…と思っていたり。
そこで思ったんですよね。
不登校の我が子は現在、ほぼ毎日を、ゲームとyoutubeで過ごしているんですが、大好きなYouTuberのプレイ動画などを見て、実際に自分のプレイに取り入れたり、豆知識を仕入れたり、絶対にまだ習うことのない難しい語句を使って会話したり。
本人的には、一方的ではあるものの、大好きなyoutuberは既に「師」になってるんじゃないか?
ボクらの時代には無かったYouTubeが、今の救いになるんじゃないか!?って。
まぁ昔から、漫画から学ぶことだって多かった訳だし、メディアが変わっただけ?であれば「足りない」事もあるか・・・と最初は思ったけれど、でも憧れや、尊敬の念を覚える「かっこいいyoutuber」に憧れる事は、漠然と「好きな芸能人」のファンでいる事と同じか?と言えば、少し違うのかなとも思っていて。
しいて言えば特定のミュージシャンとか、アーティストには近いかも知れないけれど、スポンサーとか事務所とか、大人の事情が根深く絡んだテレビ画面を通じてみる芸能人と、「好きな事を好きなだけやって、追求して、自分の意志で発信する姿」のyoutuberを、本人が「選んで見ることができる」でのは大きく違うかなと思うし、何より時代背景が違うかなと思っている。
これからの時代では、何が仕事になるか、役立つか分からないし、これから大事なのは「一定の水準を超えて人と同じことが出来ること」ではなくて、「特に高い水準で出来るこ何かを持っていること」の方が重要になるかと思っているので、おもしろいを探す、突き詰める、そして発信する力がつくと思えば、youtuberは、実に師になりうるんじゃないか、と思います。
自分が好きなことは、何より吸収しまくるしね。
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親の役割・スタンスを明確にして、ブレないこと。
我が子にはどんな教育が良いのか?
学習ツールはどうするか?
躾はどこまで厳しくするか?
個別具体的な手段や方法の部分については、色々と不勉強で知らない事も多いし、適切に導けるか、まだまだ自信はありません。
でも、8歳までと10歳以降では子どもにとって大切な事が変わり、親の役割も変わること、この2点を認識できたことは、ボクにとってとても大切な事だったなと思います。
ちょっと気付くのが遅かったかな、と恥ずかしい気持ちもありますが、長男の10代はこれからだし、下に2人の子もいるので、基本姿勢の部分がブレないように気をつけて、これから接していけたらなと思います。
以上、ナツキのパパでした。