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お姉ちゃんがご先祖様になった日
「弔い上げ(とむらいあげ)」という言葉を初めて聞いたのは今年のお正月のことだった。
私には、私が生まれる前に亡くなった姉がいる。
当時は不治の病と言われていた白血病で、4才で亡くなった。
それから随分経って次女が生まれ、三女(私)が生まれ、小さな仏壇には4才の姉が笑顔で写る写真があった。
私たちは物心ついた時から、仏壇のお姉ちゃんにおはようとおやすみを言い、毎朝お水やご飯をお供えした。
お盆にはお姉ちゃんが帰ってくるからと、ご飯とお団子をお供えして提灯を飾り、8月15日にはお姉ちゃんのお墓の前で花火をして「また来年ねー」とお見送りした。
今年のお正月、母が「今年で四十九回忌だから、お姉ちゃんの仏壇を片付けることになるのよ」と一言。仏壇は永久的にあるものだと思っていたので、「仏壇を片付ける」日が来るという事実と、その文化に驚いた。
故人を偲ぶ最後の年忌法要で、故人が極楽浄土へ行ったことを祝い、故人の魂が個のものから先祖の霊となること。これを「弔い上げ」というらしい。
ご位牌からも魂が抜けるので、お寺と自宅それぞれにあるご位牌と仏壇を片付けるのだそう。
地域や宗派によってまちまちなのだろうけど、私の生まれ育った地域ではこうやって年忌法要を締めくくるようだ。
姉の命日に近い8月の暮れに最後の法要が行われることになり、私はお正月ぶりに実家に帰省した。
いつもと変わらない帰省なのに、なんだか不思議な感覚だった。
実家に着くとまず仏壇に行って、姉に「ただいま」の挨拶をする。直接会ったことはないけれど、私にとっては写真でしか会えない姉も大事な家族。
母と姉はこの法要のために、お寺に納めるお供物の準備や親戚へのお礼品、食事の用意で忙しかったようで、心なしか表情に疲れが見えた。母の場合はきっと寂しさもあったのだろう。
年に2度しか帰省しない私には分からない、田舎独特の付き合いや気遣いがひしひしと感じられて、少し息苦しかった。
翌日、朝からお寺に向けて出発。
住職さんにご挨拶して位牌堂へ向かう。小さい頃は、たくさんのご位牌が並ぶこの部屋が怖くてしょうがなかった。それぞれのご位牌の前には水やお花、お菓子が供えられている。もう何十年も通ったこの場所、母に連れられなくてもお姉ちゃんの位牌がどこにあるかわかるようになった。
お姉ちゃんの位牌と花瓶、キティちゃんのマグカップを丁寧に梱包し、お姉ちゃんがいた場所を綺麗に拭き上げる。
それから本堂へ移動し、住職さんがお経を読んだ。母の親戚やその子供たちが集まって、皆でお姉ちゃんを送る時間を過ごした。
お経を唱え終えた住職さんが「ある日私が保育園に行ったら、●●ちゃん(姉の名前)がしばらくお休みすると聞いて、子供ながらに重い病気なのかなと思ったことを覚えています」と言った。
この住職さんは私の姉より1つ年上らしい。私の知らないお姉ちゃんのことを覚えているんだと知って、少し嬉しかった。お姉ちゃんがどんな人だったのかを聞いてみたかった。
お寺からご位牌と卒塔婆を受け取った私たちは、お墓に移動して再びお参り。それから、参列してくれた親戚たちと一緒にお寿司屋さんへ移動し、お盆やお正月と変わらない会話とともに食事をして、無事に弔い上げの日が終わった。
正直、魂が個のものから先祖の霊に変わると言われても、その実感は沸かない。
次に帰省する時、実家から仏壇がなくなっていたとしても、きっと私はお姉ちゃんへの「ただいま」と「いってきます」の挨拶は続けるだろうし、お姉ちゃんの存在が消えることはない。
4才まで生きた姉のことを知っている人にも、笑顔で写る一枚の写真だけでしかお姉ちゃんのことを知らない私にも、心の中にお姉ちゃんはずっと居続けるのだろう。