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人生で3回死にかけたあおいちゃんのお話 いつ完結できるか、まだわかりません。。。
突然かつ唐突ですが、このところずっと考えていた無謀なことを書きます。 雑談したい人を募集します。 ただ「誰かと話したい、喋りたい」という方と、なんでもない、なにげない時間を過ごしたいと思い立ちました。 お悩み相談というと少し敷居が高くなってしまうので、あくまでも「雑談」。 「いや、見ず知らずのあんたと何を話すんだよ!」と思われるでしょうから、私のこれまでの人生とこの雑談相手募集の目的をお話しします。 記事投稿もフォロワーも少ない新参者ですが、少しでも興味を持っていただけた
昨年の私は無謀すぎた。どうかしていた。 登山経験3回目にして選んだのが、冬の霧ヶ峰だったからだ。 高原だし、山登りほど大変じゃないから多少の雪なら耐えられるだろうなんてあるまじき楽観的思考で挑んだものだから、もちろん早々にリタイヤ。雪の上を歩くことの難しさったらなかった。 その時の様子はこちらです↓ ただ、あの日見た稜線の美しさ、キラキラと輝く木々の聡明さは格別で、次こそはしっかりと歩ききるぞ!と心に決めてはや8か月…。7月の終わりに私は再び、長野県の霧ケ峰高原を訪れた。
「弔い上げ(とむらいあげ)」という言葉を初めて聞いたのは今年のお正月のことだった。 私には、私が生まれる前に亡くなった姉がいる。 当時は不治の病と言われていた白血病で、4才で亡くなった。 それから随分経って次女が生まれ、三女(私)が生まれ、小さな仏壇には4才の姉が笑顔で写る写真があった。 私たちは物心ついた時から、仏壇のお姉ちゃんにおはようとおやすみを言い、毎朝お水やご飯をお供えした。 お盆にはお姉ちゃんが帰ってくるからと、ご飯とお団子をお供えして提灯を飾り、8月15日に
1から随分と時間が経ってしまいました… 自分ですら忘れてしまいそうなくらい過去の投稿「筑波山RPG-1-」はこちらから↓ 雨のなか、筑波山の登山口へ歩き始めた私。 車を降りた頃には小雨になっていたけど、まるで霧状のスプレーをずっと浴びているような細かい雨が降り続いていた。 まずは登山口へ向かう道中にある筑波山神社へお参り。 人が少なくて空気も澄んでいて、静かな幻想的な雰囲気。 足元しっかり踏みしめられますように…!と自分のスキルを神様に委ねるようなお願いごとをした後に、
去年の秋からライフワークとなっている雑談。その雑談のなかで山歩きの話になると、一人ひと山は「●●山はよかったよ!」とおすすめ山が出てくる。登山経験者からあがる山には俄然興味が湧いてくる。 ※少しずつ参加者が増えていてうれしい雑談募集はこちらです↓ 今回はある方との雑談で出てきた茨城県の筑波山へ。4月1週目の土曜日。 2月の高尾山から1か月以上ぶりの山歩きにワクワクしながら都内出発。 早朝から曇り空…でも天気予報は晴れだったので、予報に望みをかけて高速道路をひた走る。 移
2月なのに。2月だっていうのに。 温かい日が続いていてちょっと怖い。桜が春と勘違いして咲いている所もあるし、ちょっと気温おかしくないか? と思いながら…だったら山登れるかも!?と思い立っての高尾山。 少し時間は経ってしまったけど、2月の登山記録です。 実はこれまで高尾山を避けていた。誰もが知る、誰もが気軽に登れる、年中多くの人が訪れる名山。人が多い場所が苦手な私には向いていないと思っていたからだ。 いくら温かいとはいえ、この時期北アルプスじゃ雪山確実だし初心者には難しい
唯一の親友がアメリカに帰ることになった。 これまで何年も日本とアメリカで離れて暮らしていて、会う機会は数少なかったけれど、彼女とはたくさんの思い出があり心はずっとそばにいた。 彼女とのエピソードはこれまでにも何度かnoteに登場している。 その彼女が旦那さんの仕事の都合で日本にやって来たのは昨年のこと。 1時間もすれば会える距離にいた彼女には定期的に会っていたけれど、アメリカへの帰国は1年先だったのでこれからまだまだ会えると思っていた。 いつでも会える距離にいるのに、いつ
仕事を休む前から、そして休んでからも、彼の存在にたくさん助けられた。人生を何度も諦めそうになった時に、彼の言葉に生かされた。勝手に恩人と崇めているほど又吉直樹さんが大好きだ。 又吉さんのYouTubeチャンネル「渦」に「インスタントフィクション」という大好きなコーナーがある。 インスタントフィクションとは… 自由な発想と気軽なノリで書かれた400文字以内の超短編ストーリーのこと。又吉さんのYouTubeでは、チャンネルに届いたインスタントフィクションストーリーを独自の解釈
ウルルでの壮大な体験、今回でようやく終了します… 朝日が昇るのを見届けた後、私たちは駐車スペースのある広場に辿り着いた。歩き始めて約3時間、ガイドの男性が私たちの到着に備えてフルーツとスナックを用意してくれていた。ここで一旦小休憩。 ここからさらに数時間歩くので、出発前に水を補充する。 地上に伸びた管から出る水をペットボトルに詰める。スイスの女性が一口水を飲んで一言。 「Taste like nature…」 なんだかいい響き。ペットボトルの水に慣れている私たちにとって
ウルルの朝5時、気温0℃。 オーストラリアでは7月は真冬に差し掛かる時期。寒さに凍えながらも、体温で温まったチクチクの薄っぺらいブランケットが妙に優しくて、体を包んでくれる安心感とともに4時間ほど眠ることができた。 昨夜シャワーを諦めたので、起きたら再度挑戦しようと思っていたけど、外で全裸=凍え死ぬ。という結末がありありと想像できたのでやっぱり諦めた。確認したら他の5人もシャワーを使っていなかった。全員風呂無し。大丈夫。 昨夜のカードゲームの喧騒がそのまま残るダイニングに
なかなか終わらない人生に迷った人のウルルバックパック旅。 日が暮れるとウルルの乾いた大地に冷たい風が吹いて「あぁそうだ、ここは冬だった」と改めて気付かされる。 エアーズロックのサンセットを見届けた後、キャンプ場に到着。ひとり一つずつ大きな布の塊を渡され、割り当てられた小屋に入る。 布の塊からシーツと枕カバーを取り出し早速ベッドメイク。 この小屋、まわりが丈夫なテントシートで囲われているだけで、風が吹くとゴワゴワ揺れるし、おまけに風がすごく入ってくる。やばい、これは耐えられ
ちっぽけな自分を再確認するかのような、ウルルでのバックパック旅。 風の谷とも呼ばれるカタ・ジュタを歩いた後、私たちはバスで移動し、ウルルの広大な大地が見渡せる場所で小休憩をとった。 ここでまたスイス人の女性が「あなたの写真を撮りたい」と二人だけの撮影会が始まった。 このアングルじゃダメだね!と場所を変えてもう1枚。 彼女の「カメラを見ないでね」という助言を忠実に守ったけど、体が斜めになって、撮られ慣れていない感が否めない1枚が仕上がった。 アイルランド人の男性から「ど
ウルル カタ・ジュタ国立公園の中に入った私たちは、ガイドの案内でカタ・ジュタへ向かった。 カタ・ジュタ(オルガ山)は大小36の巨大な岩が群れとなっている場所で、アボリジニにとっての聖地の一つ。その岩の群れのあいだを歩くショートトレイル。 真冬の風は冷たいけれど、太陽が近く感じられるからか、体を縮めて歩くほどではない快適な寒さ。体感温度は5℃くらい。 岩のあいだを抜ける風を全身で受け止めながら前に進んでいく。地面も岩に繋がっているかのようなゴツゴツとした感触で、ところどこ
2023年7月、オーストラリア入国。 ただただ現実逃避のために向かった国。メンタルダメージの症状が悪化し、社会復帰の見込みが立たない私が絶望とともに過ごした国。季節は真冬。 気温5℃のメルボルンに3日間滞在し、ウルルへ移動。 クラシックな建物が立ち並ぶ街並みから1時間ちょっとで、赤茶色の土しか見えない大地が広がっていく。小型飛行機の小さな窓に顔を押し付けるほど近づいて、見たことのない景色に目を奪われたままの時間が続いた。 道さえないただの大地。誰も踏み入れたことのないだろ
私の記事は、特に決まったテーマがあるわけでもなく、取り留めのないことをつらつらと書き並べるスタイル。 なので、ふと浮かんだことをパッとメモって下書きに置いておくことが多い。しばらくするとそのメモさえ忘れて、全く違うことを綴る…というとてもマイペース&マイウェイなスタイルでやっております。 そして今、noteの下書きには謎の言葉たちが自分の出番を待っている状態。正直、いつどんな気持ちでメモしたかさえ覚えていないものも多い。今日は過去の私が下書きに残した謎のメモの一部を成仏さ
先日、ある友人から4年ぶりに連絡が来た。 「しばらく会ってないけど元気?主人の仕事の都合でNYに引っ越すことになったの。知人がお別れ会を開いてくれることになったから是非来て!待ってるよー! 場所:●●●●(都内一等地のパーティー会場) 会費:ひとり1万円」 なぜか。なぜだか。すごくモヤっとした。そしてそのモヤモヤが数日経った今でも残っている。 大学時代からの友達で数年前に起業し、がむしゃらに頑張っている子。かつて仕事が軌道に乗る前は、私の仕事つながりでテレビに出られな