かりぃーぷぁくぷぁくさん《後編》
かりぃーぷぁくぷぁくさんへの取材記事、いよいよ後編です。
かりぃーさんの活動を高校で授業されたことや、これからの目標を伺いました。
最後までぜひご覧ください!
※中編記事はこちら
それではいきましょう!
~教員のお仕事も以前されていたんですよね?それもあって、少し前に関西学院高等部でアートの授業をされたと拝見しました。
かりぃーさん 新卒の時にスクーリングっていう通信制の高校で非常勤講師してました。
普段は家で勉強してる子たちが年に何回か学校に通わなきゃいけない日があって、そのときに授業する仕事。3年くらい社会の先生だったよ。
授業の話は知り合いからいただいたお話で、関西学院高等部ってアートの選択授業があるんですって。美術とか演劇とか音楽やったりっていうような。新しいことがしたいって子たちが集まって、その子達に向けた特殊な授業なの。尖ってるよね。
~めっちゃ尖ってますね。
かりぃーさん いろんな人が呼ばれて講師をやるみたい。起業家とか、アーティストとか、宇宙語喋るなんて人もいたんですって。そこで授業をするお誘いをもらいました。
せっかく呼んでもらえたから、子どもたちの為になるものをやろうと思った。その子たちの目標みたいなものを見せてもらいました。ミュージックビデオを撮りたいとか、異性装がしたいとか、メイクをしてみたいとか、楽曲作りたいとか。目標が一人一人しっかりあったのね。偶然だけど私がやってる領域とかぶってることがたくさんあるじゃん。それなら色々喋れる、アートを作る時にどういう気持ちで始めたらいいかみたいなことを話そうって思った。
最初にマリー・アン・ドゥ・トロワ・ネットのMV見せて
私は何者やねんってところから話しました。あとは制作するときの心構え。何かを作りたいと思ったとき、才能もお金もないから無理だなって思ってしまいがちだけど、それは自分1人でやろうとするからじゃないかなって話をした。仲間を見つけようって。
自己顕示欲の発露のためなら1人でやればいいけどさ。作品を作りたいっていうことなら、専門の人を見つけて繋がっていくことが世界が開けていく。自分1人では出せない力を関わってくれる人が出してくれる。そんなことを心がけてますっていう話をしましたね。
~子どもたちにも響いたでしょうね。
かりぃーさんも楽曲やミュージックビデオを作るチームのようなものがあるんですか?
かりぃーさん チームを作ってるわけじゃなくて、私が個別でつながってる人たちにそれぞれ依頼してる感じですね。
映像の監督も曲作りをしてくれる人も、私が演劇やってた頃に知り合った人達。
曲作りなんかはね、私が鼻歌で「パンパンパンパパンパンパンパンパパン」って、ボイスメモ入れるじゃない?それをその人に、「こんなイメージで曲にしてほしい」って送ったら、思った通りの曲にしてくれました。
恥ずかしがらずに自分がやりたいことを熱量持って最大限アウトプットした上で、相手がやってくれることを引き出していければいいって思ってます。
~アーティスト活動やカレーの推し活で、これからの目標というか、やっていきたいことはありますか?
かりぃーさん 2つあります。
1つは私はカレーの推し活をする人間だってことを全国の皆さんに知ってほしい。私を推してもらうってことは、私の推してるカレーが推し出されていくわけなのよ。だから私が活動する中でカレーの良さを広めていきたい。カレーの歌しか歌わないアーティストとしてアルバム制作に取り組んでいるけど、これも推し活なんです。
あともう1つの話に絡むんだけど、私はカレーと渋谷系音楽が似てるって話をよくしてる。これ意味わかる?
~すみません。渋谷系音楽からよくわからないです。
かりぃーさん ですよね(笑)。90年代のカルチャーだもんね。これもやりたいことの1つにつながるんだけど、渋谷系ってのは90年代中頃に流行った洋楽志向の音楽なんです。洋楽をサンプリングして、それをミクスチャー、つまりごっちゃにすることで、新しく構築し直すっていう音楽。それがすごく今のカレーシーンに似てるなって思ってるの。
~似てるんですか!?
かりぃーさん 似てるんですよ。
ラーメンとカレーを例にすると、ラーメンって国内志向だと思うのね。なぜかというと、目指そうとするものが中国大陸の麺料理じゃなくて中華そばっていう日本独自の麺料理になってるから。
でもカレーで本格的なものを作ろうとしたら、あんまり日本のカレーを目指さないよね。南インド風カレーとかネパール風カレーとかっていうように、こだわるカレー屋さんほど、別の国の名前をつけたがる傾向があると思うんです。
これって本物は海外にあるっていう思考だと思うんですよ。そういった要素を取り入れながら、いろんなカレーが1皿に乗っかる。つまりミクスチャーして提供しているって思ってて。それがカレーと渋谷系音楽が似てるんじゃないかなって思う部分。
あと、カレーを作る人と食べる人が一体となってカレーの話をしてる感じが、外資系レコード屋にみんなが通ってた時代に重なってるような。歌い手も聞き手も一緒になってシーンを盛り上げていくっていう雰囲気にすごく似てるなと思ってるんですよ。
昔はレコード屋界隈にあったサブカルチャーの熱が、今はカレー屋に移行してるんじゃないかなっていう風に感じてて。この渋谷系のカルチャーと今のカレーが似ている事実をみんなあまり知らない。特に渋谷系で盛り上がってた当時の人たちは知ってほしいなって思うのよね。だからなるべく渋谷系のサウンドに近づけてカレーの歌を歌っていきたいなって思ってます。
~そんな思いがあったんですね。かりぃーさんのホームページで以前、元気なミドル世代をカレーで作りたいと言われていました。そこが繋がってるんですね。
かりぃーさん 私たち世代の青春の音楽だからさ。その頃の気持ちをカレーで、私を通じて思い出してほしいんですよね。
だから私を通じてカレーを広めたいってことと、カレーと渋谷系の共通点から私たちの世代を元気にしたいってことが目標かな。さっきエイジレスを目指したいって言ったけど、年齢を理由に自分の限界を決めたり元気をなくす人を減らしていきたいって気持ちがあるんです。あなたの年齢でもこれだけのことができますよっていう希望を見せていきたい。
~ありがとうございます。よくハッシュタグで『神戸をカレーの街に』っていうのを見ます。なんで神戸ってカレー流行ったんですかね?
かりぃーさん そのタグを初めてつけた人のことを知ってるんだけど、なんか神戸に名物料理がないなって思ったんですって。思いつきで始めたらしいんだけどね。
でも、たどってくと神戸って元々港町じゃない?それで100年前の関東大震災のあと、横浜に住んでた外国人、特にインド人がたくさん神戸に移住してきたんだって。だから横浜と神戸ってそっくりなんですよね。赤レンガ倉庫があったり異人館があったり。
そういったきっかけがあったことによって、本格的なインド料理を作るインド人がたくさんいたことが、昔からこの町にカレーが根付いている理由の1つと言われてる。だから神戸は海外の現地系カレーが食べれる街なのよ。現地系の流れと洋食文化も盛んで、ハンバーグ、エビフライとかの歴史も古い。その流れでのカレーも広まっていったんですね。
歴史自体はすごく古いんだけど、やっぱりここ数年の大阪スパイスカレーのインパクトには勝てないなって思ってた。でも、だんだん大阪から流出してきたものが神戸のカレーと混ざり合ってる雰囲気があるんです。だから今とっても面白い感じになってきてる。
~なるほど、神戸という町をカレーで盛り上げていくってことに対して、なにかされたい気持ちもあるんですか?
かりぃーさん うん。せっかくこの町に住んでるし。神戸のカレー屋さんもたくさん顔見知りになったからさ。音楽とカレーのフェス的なものを自分が主催してやれたらいいなっていう思いはあります。
~たまたまかりぃーさんが神戸に来られたのも、東京でエチオピアに出会ったのも、音楽や演劇を続けられてきたのも、全部繋がってるんですね。
かりぃーさん そうですね。そう考えたら面白いかも。
かりぃーさんの取材記事、三部作にてお届けしました。
強い熱量があって行動している人はやっぱり面白いなぁと感心しました!かりぃーさんの主催されるフェス、いつか行ってみたいです✨
最後までお読み頂きありがとうございました✨
取材後、おすすめのカレー屋さんに連れて行ってもらいました❤