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【大喜利のお題を選んで小話を書きなぐる101】浦島太郎の知られざるもう一つの物語とは?

まだまだ暑いですね。これは、残暑と言ってよいのでしょうか?ほぼガチ夏並みの暑さでしたが・・・。でも、空と雲を見上げると、どことなく「もうすぐ・・・秋っす。」って雰囲気を醸そうとしている感じがして、ちょっとだけ憎めない気持ちになりました。それがきっと、9月!

ということで、101回目の投稿も粛々とやっていきたいと思います。テーマは「浦島太郎」です!

浦島太郎とは?

さて、「浦島太郎」といえば、日本を代表する物語の1つではありますが・・・どのようなお話だったか、軽くおさらいしてみましょう。

浦島太郎(うらしまたろう)は、日本の伽話(おとぎばなし)、及びその伽話内の主人公名。
一般に知られるあらすじでは、亀を助けた報恩として浦島太郎が海中に連れて行かれ、龍宮(竜宮)で乙姫らの饗応を受ける。帰郷しようとした浦島太郎は、「開けてはならない」と念を押されつつ玉手箱を渡される。帰り着いた故郷では、龍宮で過ごしたと感じたより遥かに長い年月が経っており、失意の余り玉手箱を開けてしまった浦島太郎は、白髪の老人に化するというものである。

出典:浦島太郎 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ちょっと・・・サムネイルで浦島さんが乗っかっている生物すごいですね。これが噂の、あの亀?えっと、鰭みたいなのすごくないですか?地球外生命体みたいやん・・・。

それはともかく、何回読んでもこれはバッドエンドだよなあ・・・と思わざるを得ない物語ですね。だって、ほぼ誘拐劇ですよね、これ。助けた亀の得体が知れなさすぎるというか、浦島さんもそんなつもりで亀を助けたわけではなかったと思うというか、亀を助けた後は、家に帰って釣った魚を焼いて食べて寝ようと思っていたに違いないもの。

ウィキペディアを読んでいると、補足がありました。

現代において日本で広く普及する浦島太郎の御伽話は、明治から昭和にかけて読まれた国定教科書版に近い内容である。これは童話作家の巖谷小波が1896年に発表した『日本昔噺』版に、生徒向けに手を加えて短縮したもので、玉手箱を開けて老人化してしまうことで約束を破ると悪いことが起こると伝えようとしたためである。
竜宮城に行ってからの浦島太郎の行状は、子供に伝えるにふさわしくない「結婚生活」の内容が含まれているので、童話においてはこの部分は改変(もしくは省略)された。

出典:浦島太郎 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「約束を破ると悪いことが起こる」って・・・ちょっと待ってよ!浦島さんって基本的にすごい善人ですよ?なんの義理もなく、通りがかった子供たちのいたずらを注意して、亀を助けるなんて、心が優しくなければできないことですよ。そんな浦島さんに、わざわざ開けたら老人になってしまう「玉手箱」なんて厄介なものを贈りつける乙姫様の方が、よほど意地が悪いのに・・・そりゃないよ。この物語で天罰を下すなら、子どもたちか亀か乙姫様だろう・・・と、私は思うのですが。あと、3年間の結婚生活が官能的でも、夫婦ならそれは自然なことですし、可能な範囲でラブラブに暮らしました、くらいは教科書に書いておいても良かったんじゃない?というか、なぜこんなややこしい物語をチョイスして教科書に載せるのか・・・教科書ってちょっと感覚がズレているというか、謎な改変をするのだなあ・・・。

色々と考察があるらしい

ウィキペディアを読む限り、様々な諸説やバージョン、さらには考察もあるらしく、どれが正解かよく分からない点が多いようです。また、現代において「浦島太郎の子孫である」と名乗っている人物が3名もいるとか、てんやわんやですね。こんなによく消費されている物語ですから、今さらスピンオフ作品を作るまでもないのでは、と思ってしまいますが・・・。

一応、考察も貼っておきます。

近代版の浦島太郎には、善行を行えば報われるという、「仏教的な因果応報思想」が意図的に盛り込まれるとの解説がある。近代版には、亀が「おれいに竜宮へおつれしましょう」と語っているので、報恩の意志ははっきりしている。
しかし、近代版では浦島の結末は、短く竜宮で楽しんだ後は老人となってしまう。結果的に自身が不幸に陥ることになるので、報恩といえるかどうか、疑問視もされ、「アンチ報恩譚」とのレッテルを張る論文すらある。
中世(『御伽草子』、後述)の場合は、主人公が単に老化してあるいは死んで終わるのではなく、鶴と化して「めでたき」結末となっているので、より報恩譚として成立する。これについては逆に、亀の放生を行った程度で容易に無限の宝を得られるでは釣り合わない、との批判がみられる。鶴になる結末は何を伝えたいのかわからないとの向きもある。

出典:浦島太郎 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「亀の放生を行った程度で容易に無限の宝を得られるでは釣り合わない、との批判」って・・・本当にその通りですね、ぐうの音も出ない。この、鶴になるバージョンの真相は、乙姫様の正体が鶴だった、ということなのじゃないでしょうか。

正体が鶴といえば・・・日本の有名なおとぎ話がありますね。そう、「鶴の恩返し」です。罠にかかった鶴を助けたおじいさんの家に、若い女が訪ねてきて、恩返しに機を織るというお話。結末は、「機を織っている間は決してのぞかないでください」という女の約束を破っておじいさんが正体を見てしまったことで、鶴が涙ながらに去ってゆく・・・というもの。

この鶴が異世界に転生して、生まれ変わったのが乙姫様なんですよ。

鶴であり乙姫である存在は、自分の恩人となった男をもてなすはずが、毎回不幸にしてしまう。自分は「呪われた女」であると苦悩し、そんなのは嫌だと何度も転生を繰り返すのだけど、うまくいかない。浦島さんを老人にした後に彼女が転生したのは「かぐや姫」。ここでも、自分に惚れた多くの男の人を不幸にしてしまいます。どうして・・・?

こうやって書いてみると、日本のおとぎ話ってハッピーエンドが比較的少ない気がします。戒めとか教育的側面抜きで、ただ娯楽として楽しめる物語って意外と少ないのかも。主人公が好き放題やっているという点では、源氏物語はそうなのかもしれませんね。考えさせられます。


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