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#37 母の日に花を摘んだ話

日本の母の日はアメリカから伝わったらしい。
1905年5月9日、アメリカのフィラデルフィアに住む少女「アンナ・ジャービス」が母の死をきっかけに、「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と働きかけたのが始まりとされている。そして、彼女がカーネーションを母に捧げたことをキッカケに、この花が母の日のシンボルとなった。以降、5月の第2日曜日は感謝の印として母にカーネーションを贈る文化が生まれた。

前回の記事でも記したが、私は母の日に実母に何かプレゼントを贈ったことはなかった。もっと言えば、カーネーションがどんな花かすら知らなかった。この名前を聞いて思い出されるのは花ではなく、数年前のNHK朝ドラのタイトルである。故に頭に浮かぶのは可憐な花びらではなく、父親役の俳優に茶の間にて本気で顔面を叩かれ、頬を真っ赤にした尾野 真千子の姿であった。

そんな私が何かの縁でカーネーション農家にて研修することになった。一番驚かされたのが「母の日」が花業界では一年を通して最も市場が動く日だと言うことだった。それほどまでに国民に受け入れられ、文化として定着していることは露知らず、25年間フル無視していた私の常識の無さは恥べきことだと猛省した。よく見渡してみれば、花屋はもちろんのこと、地元のスーパーでさえカーネーションを売っている。今、この記事を書いているカフェの向かいにあるファミリーマートでさえ、母の日ギフトの旗を掲げている。それほどまでに、母の日とは一大イベントだったのだ。

大人になって分かる、大人の大変さ。自分に子供ができて、家族を養う未来が全く浮かばない。それは、25歳になる年になってもフラフラしている我が身故のことかも知れないが、こんな高難易度ミッションをこなした親には頭が上がらない。感謝の気持ちを伝えるのは恥ずかしいが、その恥ずかしさもひっくるめて楽しむくらいの勢いで、感謝を伝えた方が良いのではないかと思った。

実母、叔母、お世話になった方や友達の母にカーネーションを贈った。長時間の移動で花が傷まないかを心配し、水を余計にやり過ぎたせいで水漏れが発生し、段ボールの底が濡れていると郵便局から数件連絡があった。過保護は時に毒である。相変わらずの凡ミスを犯してしまったが、ここはご愛嬌で許して欲しい。自分の落ち度に言い訳をしながら、2ヶ月間のことを思い返す。色々あったなあと思いながら、明日で終わることがちょっぴり寂しい。

昨日、葉が枯れて商品にならなかったカーネーションを処分した。花もやっぱり生き物だから、病気になったりして綺麗に育たないことがある。日の目を当たることができない花は悲しいけど全て処分だ。残酷ではあるが、やはり思いやりが強いがために、無意識に生き残った花びらを摘んでいた。綺麗な花びらまで捨てることはない、そんな思いだったのだと思う。

摘んだカーネーションたち

摘んだ花をどうしようかなと冷静に考えた時、先日見たYouTubeを思い出した。時折、花屋の動画を見てモチベーションを上げていたのだが、その動画ではフラワーボックスという商品の紹介をしていた。断片的な記憶を思い返すと、箱に花を詰めるので茎が短くても大丈夫だった。私は花を摘むとき茎を短く切っていたので、ブーケを作るのは不可能だと思っていたが、フラワーボックスなら作れそうだと考えた。仕事が終わると100円ショップに直行し、花用スポンジと箱を買った。そして、家に帰るや否や早速作業を始めた。

長方形の箱にスポンジを詰め、カーネーションを刺していく。作業自体はシンプルなのだが、花びらは同じようで全て形も大きさも違うので、配置を考えることにずいぶん悩んだ。初めて行った我流のアレンジメントは、所々爪が甘くて不恰好だと思ったけど、心が躍ったのは間違いなかった。やっぱり、「色」がある作業は面白い。

初めてのアレンジメントは不恰好だった。

このカーネーション・ボックスはオーナーの母とお姉さんにプレゼントした。すぐに枯れてしまうかもしれないけど、喜んでくれたので万事オッケー。自己満でも何でも良いが、誰かに喜んでくれたことが自分をも喜ばせるのであれば、こんなに幸せなことも無いと思う。

明日で最後。
終わった後に何をするかは考え中だが、ある程度形にはなってきた。それは別途まとめたい。ひとまず、無事にこの日を迎えられて心の底から良かった。


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