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病気にかかるのは迷惑なのか

以前こんな記事を書いた。

高齢者向けの保険CMに出てくる「家族に迷惑かけたくないから、お葬式代ぐらい用意しておきたい」というセリフに疑問を持ったことをキッカケに書き連ねたものだ。

そしてコロナ禍において「かかると周囲に迷惑をかける」という風潮にも疑問を抱き、持論を書きかけたのだが時勢もかんがみて下書きに留めておいた。

さて先日のこと。
とあるフォロワーさんが「好き勝手な食生活をして病気に罹ると周りが迷惑をこうむる、と諭された」というような投稿をされており。
私の中の反抗心というか自我のマグマが沸々ふつふつと煮え立ったのだ。

病気になるのって迷惑なんですか?



公正世界仮説

良い行いをした人には良い結果が、悪い行いをした人には悪い結果がもたらされる、という心理的バイアスを「公正世界仮説」という。
コロナ禍では特にこの公正世界仮説がウイルス以上に猛威を振るっていた。

読売新聞オンラインより

日本では「自分の行いが悪いから感染した」と考える人が他国よりも多い。
これは日本で消毒やマスクなどの感染予防対策が徹底され、人と会うことへのリスクが周知された結果によるものだとは思うが、それにしても自己責任論が強すぎはしないか。

感染症は周囲に感染うつしてしまう可能性があるので、もちろん自身が罹らないほうが良いに決まっている。
しかしワクチンを打っても、防御策を施していても、罹る時は罹るのだ。

「どうせ遊びに行っていたんだろ」
「休まれてこっちの仕事増えて大変なんですけどー」

こうしたことを言われないために、あえて検査しない人もいた。
日本は公正世界仮説を信じる人が多いからだ。



性犯罪は自己責任ですか?

公正世界仮説を軸に考えると、あらゆる犯罪も被害者の落ち度のせいになってしまう。

例えば痴漢被害に遭った女子高生に対して「ミニスカートを履いていたからだ」などと批判する人がいるように。

いや、痴漢のためにミニスカート履いてるわけじゃないでしょ。
逆に「ミニスカート履いてる人間には痴漢しても良い」なんて法律があったら女性はミニスカート履かなくなるわ。

私自身、過去に付きまといのストーカー被害に遭ったことがある。
桶川ストーカー殺人事件より後のことだったので、警察もきちんと対応してくれると思い、近所の交番に相談しに行ったのだが。

「女の子がこんな遅い時間に歩いてたら、誰だって後ろ着けたくなるよ」

最低の回答が返ってきて、私は「自分の身は自分で守らねば」と強く意識し、それからしばらく職場の男性に家まで送ってもらうようにした。

その後、霞が関に勤める男性と知り合ってくだんの話をしたところ、「いち警察官として本当に申し訳なかった」と謝られたので、今はもう少し改善されていることを祈るばかり。



公正世界仮説が作る自己責任論

公正世界仮説にはメリットもある。
それは社会生活を円滑に進められるという点だ。

悪いことをしなければ犯罪は起きない。
犯罪を犯す人間は悪いやつ。
天網恢恢疎てんもうかいかいそにして漏らさず」という言葉もある。

だが病気は犯罪ではない。
酒もタバコもやらず、規則正しく生活していたとしても病気に罹る人はいる。

公正世界仮説に囚われると、犯罪だけでなく全ての不幸や災厄が被害者本人を起因にしていると考えられてしまうのだ。
過去、ハンセン病患者に対して「前世の行いが悪かったから」という、とんでもない理由で迫害していた人もいるぐらいに。

不健康な生活をしていても長生きする人はする。
正確なデータではないので話半分に聞いてもらいたいが、タバコとワインとチョコレートのどれもが好きな人は長生きする、という研究もあるぐらいだ。

健康診断で医師に「これとこれは控えましょう、もっと運動をしましょう」と言われてそれに従っても、病気になる時はなるのだ。

それを「本人の努力不足」と言うのはまだ許せるとして。
「過去の行いのせい」と言う人間は、今まで本人が歩んできた人生がどれほどのものだったのかを本当に知っているのか
もしかしたら、常人には想像できない過去を背負ってここまで必死に生きてきたのかもしれない。



病気が迷惑なわけがない

私の祖母は90歳を過ぎ、現在心臓疾患を患っている。
お見舞いに行くと、いつもこう言う。

「もういいよ。おばあちゃん充分生きたからね。凛ちゃんとセリちゃんのウエディングドレスも見れたしね。おばあちゃんね、もう迷惑かけたくないよ」

どうして迷惑なんて言うの?
私はもっとおばあちゃんに生きていてほしいのに。

祖母の命はもう長くないかもしれないけれど。
私はどうしても、高齢者の方へ言いたいのだ。

生きていることが、病気になることが、迷惑だなんて絶対に思わないでください。

人生を閉じる時は必ず来ます。
それは若者も高齢者も同じです。

もし病魔に襲われたとしても、それを己の責任だなんて考えないでください。
死は誰にも等しく平等です。
あなたのこれまでの人生を否定するようなことでは、決してありません。

どうか誰もが、安らかにその時を受け入れられますように。


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