
エイミー、襲来
接客業というのは対人の仕事なので、お客様の要望や求めるサービスも多種多様。
そのワガママのすべてを聞くことはできないため、お断りする理由を真摯にご説明して理解して頂くしかない。
しかしたったひとつ、お客様のどんな要望もお断りしない業種がある。
それがホテル業だ。
過去、私はとあるホテルマンからこんな話を聞いた。
「お客様の要望により、本気で身の危険を感じたことがある」と。
お客様の名前はエイミー。
埼玉出身の純日本人である。
エイミーとの出会い
私の友人・平塚くんは現在サラリーマンをしているが、彼がホテルで働いていた頃の話だ。
平塚くんは高校卒業後、地元の某リゾートホテルに就職した。
担当はベルボーイで、お客様の荷物を運びながらお部屋まで案内するのが仕事。
まだ初々しい18歳だった秋の日、その女性は突然やってきた。
年の頃は40歳前後、アルマーニの上下にでっぷりとした洋ナシ体型を無理矢理つめ込み、ドスドスとロビーに入ってくる。
彼女はカウンターで、チェックインの担当者にこう告げた。
「あたしの名前、ダサくて嫌いなのよ。だからあたしのことはこれから『エイミー』って呼んでちょうだい」
カウンターの後ろにいた平塚くんは耳を疑った。
エイミー?え?誰が…?
実は、本名と違う別の名前で呼んでほしいというお客様はごく稀にいるのだそう。
その日からホテルの従業員は全員、彼女を「エイミー様」と呼ぶようになった。
逃げ惑う男子たち
エイミーはホテルが気に入り、月に一度か二度の頻度でやってくるようになる。
彼女はお金に余裕があるらしく、いつも高ランクの部屋を予約していた。
ホテルにとってはありがたいお客様なので、ちょっとしたワガママなども出来うる限り対応したのだ。
が、次第にエイミーはモンスター化していく。
気に入ったベルボーイを指名し、荷物を部屋に置かせている間に服を脱ぎだしたり、明らかに誘惑してくるようになったのだ。
半泣きになりながら帰ってくる男子従業員の姿に、事態を重く見た責任者は各従業員に通知を出した。
「エイミー様が来客したら、女性か年配の男性に対応させるように」と。
そしてまた、エイミーがやってきた。
ドアマンはすぐにインカムで全員に通知する。
「エイミーが来た!若い男をバックヤードへ隠せ!」
インカムを受けた男子たちは、我先にと裏口へ逃げ込んでいく。
頼むから自分が指名されませんように、とガタガタ震えながら時が過ぎるのを待ったのだ。
欲しくない指名
ロビーを見回し、不思議そうにエイミーが言う。
「あら?今日平塚くんは?」
インカムを通して会話を聞いていた彼は青ざめた。
やめてくれ…。
オレを指名しないでくれ…。
「平塚は、今…」
「あたし今日は平塚くんじゃないとイヤよ」
彼女の意思は固かった。
インカムから呼び出しがかかる。
「平塚、頼む、行ってくれ。15分経っても帰って来なかったら必ず救出に行く」
自分が呼ばれなくてホッとしている周囲の男子たちに励まされ、彼は泣く泣くエイミーの元へ向かった。
なんとか笑顔を作り、荷物を持って部屋へと案内する。
荷物を置いたらすぐに出よう。
すぐにだ。
指定された部屋の奥に大きなカバンを置き、ドアを振り返った。
すると。
その退路を塞ぐように立ったエイミーが、服を脱ぎ始めていた。
暴走するエイミー
「ねえ、この服ハンガーに掛けてちょうだい」
平塚くんはなるべくエイミーの下着姿を見ないようにしながらコートを掛け、自分の身体がすっぽり入るぐらい大きなジーンズも掛けた。
「あたしシャンパン持ってきてるのよ。一緒に飲みましょう」
通常であれば、何かしら言い訳をして逃げ出すだろう。
しかし真面目な彼は「怒らせたらどうしよう。自分の責任でホテルに損害が出るのでは」と考えてしまったのだ。
悠然とシャンパンを出す彼女に促され、言われるがままソファーに座る。
「開けてちょうだい」とシャンパンを渡されたが、当時はまだシャンパンの開け方を知らなかった。
それどころか、彼はまだ童貞だった。
「知らないの?じゃあ私が教えてあげるわよ。うふふ」
初めてのシャンパン開栓をエイミーに奪われた平塚くん。
その後、彼女が出してきたゴディバのチョコレートを「あーん」される。
ゴディバを食べたのも、女の人に「あーん」されたのも、初めてだった。
エイミーにあらゆる初めてを奪われてしまった。
平塚くん、社会を知る
恐怖でゴディバの味もよく分からないまま、シャンパンで流し込む。
その様子をうっとりと眺めながらエイミーは呟いた。
「かわいい♡食べちゃいたい♡」
モンスターに微笑まれ、彼は一瞬気絶しかけた。
やがて彼女は立ち上がると、浴槽に湯を溜め始めたのだ。
マズイ…!
それだけは、それだけは奪われたくない…!
時計を見ると、もう30分はとっくに経過している。
15分経ったら来るって言ってたのに…。
なんで誰も来てくれないんだよ…!
大人なんてみんな嘘つきだ…。
頭の中の緊急アラートを聞きながら、咄嗟にインカムに手をやった。
「あ、はい、はい、すぐに戻ります!」
誰かから連絡が来たふりをし、エイミーにシャンパンとチョコレートの礼を言って部屋を出る。
彼は早歩きで、グスグス泣きながらロビーへ戻った。
「お、平塚ー、おつかれ」
「長かったなー。ホントに襲われてんじゃね?って話してたとこだよw」
これが社会か…!
いろいろな意味で、少しだけ大人になった平塚くんでした。
なお彼はその後19歳になった年、ちゃんと大好きな彼女に童貞を捧げたそうですので、ご安心下さい。