ルーズソックスとジャックナイフ
すでにお気付きの方も多いと思いますが、私はいわゆるコギャル世代です。
1990年代に爆発的ブームとなったコギャルは、超ミニスカートにルーズソックスを履き、ガングロという日焼けメイクをし、渋谷109を聖地とする女子高生たちのこと。
私もミニスカートやルーズソックスを履いていたものの、しかし自身をコギャルとは考えていませんでした。
何故なら心にジャックナイフを抱えていたからです。
一世を風靡したコギャル
91年にバブルが弾け、95年にサリン事件が起き、そのまま日本はデフレ時代に突入した。
そんな不安定な世の中で、唯一社会を元気にしてくれていたのがコギャルだった。
小室哲哉というヒットメーカーに牽引される形で様々なアーティストがデビューし、安室奈美恵や華原朋美、浜崎あゆみが歌姫として君臨した時代。
特に安室奈美恵のミニスカート+厚底靴ファッションは大人気となり、彼女を真似た「アムラー」が渋谷を埋め尽くす。
当時はブランド物が今よりもマストアイテムとされていたので、ヴィトンのバッグを買うために平気でパンツを売る女子高生もたくさんいた。
そうした行為は「ブルセラ」と呼ばれ、脱ぎたてのパンツほど高値で売れたので、出会い系サイトを利用している子はいつも予備のパンツを鞄に入れていたのだ。
やがてそれは「援助交際」と呼ばれる社会問題に発展していった。
当時、私はとにかく憤っていた。
援助交際を提供する方にも、享受する方にも。
それ、犯罪だぞ、と。
売られたケンカは買え
世のコギャル達が肌を焼きまくっていた中、私は「美白派」を通していた。
特に信念があったわけではなく、単純に紫外線アレルギーだったからだ。
学校の登下校時も日傘を差していた。
肌が白いのにミニスカでルーズソックスを履く、そうした中途半端なコギャルはナメられる。
ある日、学校帰りに友達と109に入ろうとした時。
入り口に座り込んでいた「いかにも」な黒ギャルが、私の姿を認めて立ち上がった。
虹色のエクステを付けた彼女は、「いかにも」な仕草で私にわざとぶつかってきたのだ。
「ボーッと歩いてんじゃねーよ、ブスwww」
多分彼女にとっては日常茶飯事だったのだろう。
しかし相手が悪かった。
なにしろ私の生まれ育った下町の子供は「やられたらやり返せ」と教わる。
いじめでも暴言でも、卑怯なことをするやつには殴ってでも思い知らせなくてはならないのだ。
ジャックナイフと呼ばれて
「人にぶつかってきて謝りもせずにくだんねーこと言ってんじゃねーぞ!」
私の恫喝に黒ギャルはビクッと固まった。
おそらく私を普通の、気の弱い、埼玉あたりから遠征してきたイモ女子高生だとでも思っていたのだろう。
頭に血が上った私はその隙に彼女の細い虹色のエクステを、一本掴んで引きちぎってしまった。
あんなに犯罪を厭うていたのにこのザマだ。
痛い!痛い!と叫ぶ黒ギャルに掴みかかり、重心を落とし、腰を入れて顔を殴った。
と思ったけど、バカギャルが暴れるので上手く当てることができず、鼻を少しかすった程度。
外れたのが悔しくて、代わりにツケマツゲを引っぺがしてやった。
ギャンギャン泣きわめくバカの声で人が集まってきたので、私と友達は走って渋谷駅に逃げた。
ハチ公の辺りでようやく一息ついた私に、一緒に走ってくれた友達が荒い息で言った。
「凛さ、マジでジャックナイフじゃね?w」
今はすっかり丸くなってます
この一件を機に、私は友人達から「ジャックナイフ」と呼ばれることになった。
しかし女子高生は略すのが好きなので、結局「ジャクナ」と呼ばれ始める。
ジャクナって、なんか海外のR&Bアーティストみたいでかっこいいじゃん、とか呑気に思っていた。
さてこのジャックナイフ、現在ではすっかり丸くなっています。
相変わらず妙なところに正義感を振りかざしたり、卑怯なやつは徹底的に追い詰めるけれど、少なくとも人を殴ることはしなくなった。
以前何かの番組で千原ジュニアが「昔はジャックナイフだったけど今はバターナイフや」みたいなことを言っていた。
私はバターナイフになれただろうか。
まだ少し尖った所もあるように思うので、テイクアウトに付いてくるプラスチックのギザギザナイフ程度かもしれない。
あれなら人は傷付けない。
私が本気で怒り、ナイフを逆手に持ちさえしなければ。
最後に、109前で私にケンカを売った黒ギャルに謝罪しておきます。
エクステ抜いちゃってごめんね。
でも傷害罪は10年で時効だから、あなたの頭皮が無事なことを祈っておきます。