誰も傷つけない言葉は誰にも届かない言葉
一億総SNS時代に突入したことで近年ネット上のトラブルが増え続けている。
何気ない投稿が炎上したり、あるいは悪意のある誹謗中傷を受けて心を痛め、自ら命を絶ってしまう人もいるほどだ。
ネットという相手の顔が見えない世界では、軽い気持ちで罵詈雑言を放ってしまう人も多い。
一方で、受け手の感情に配慮するあまり、正直な気持ちを発信しにくくなっている実態もある。
発信者としての心構えについて改めて考えてみた。
誰も傷つけない笑い
2019年のM-1グランプリで決勝進出を果たし、審査員の松本人志から「ノリ突っ込まないボケという新しいジャンルを切り開いた」と評されたお笑いコンビ・ぺこぱ。
彼らの笑いは「誰も傷つけない笑い」として一躍脚光を浴びた。
実はこの数年前から、世間にはお笑いに対して「やさしさ」「穏やかさ」を求める空気が醸成しつつあったのだ。
ボケの頭を激しく叩いたり強い語気でツッコむ漫才よりも、冷静にツッコんだりボケの身体に一切触れないような漫才が好まれるようになった。
好感度ランキング常連のサンドウィッチマンや、新東京スタイルと呼ばれるオズワルドなどがその代表格だ。
ぺこぱのブレイクをキッカケに、そうした「傷つけないお笑い」がより一層世間に求められるようになってきた。
この理由については、お笑いに敏感な若年層が人から傷つけられることを恐れているからだとする論調が多い。
しかし私は逆ではないかと考える。
人を傷つけてしまうことを恐れているからではないか。
「傷ついた」という無敵の訴え方
以前Twitterでこんな場面に出くわしたことがある。
人気男性アイドルグループの入手困難なチケットに当選したファンが、当選結果のスクショと共に「当たったー!!夢みたい!!」というような投稿をした。
すると「おめでとう」のコメントに混じって「自慢ですか?」「落選した人の気持ちも考えてください」という批判が相次いだのだ。
少し前の投稿を辿ってみたが発信者はいたって普通のファンであり、どう考えても純粋に当選結果が嬉しくて報告したに過ぎない。
しかしこの投稿はプチ炎上し、結果的に当選者が謝罪する事態に追い込まれた。
この件を目の当たりにして、今の時代においては「傷つきました」と訴えたもん勝ちなのだなぁとしみじみ感じたのだ。
たとえ同じ言葉でも、人によって受け止め方はそれぞれで、まったく気にしない人もいれば深く傷つく人もいる。
心の傷は数値化出来ないから、たとえ悪いことをしていなくても相手が「私は傷ついた」と言えば、発した方は謝らざるを得ない。
こうした事態を恐れて、SNSに本音を書けない人は意外と多くいる。
知らない誰かを傷つけてしまうと、結局は自分が追い込まれるからだ。
言葉に信念を持てるか
記事のタイトル通りのことをつらつらと考えていた時に、こんな記事に出会った。
文芸雑誌「ダ・ヴィンチ」での連載経験もある、コピーライターのゼロの紙さんの記事です。
彼女の紡ぎ出す言葉の素敵さをどう説明したらいいかずっと考えていたんですが、さっきお風呂で思いつきました。
「食べるのがもったいないほどキレイで、時々そうっと眺めてはまた宝石箱のような缶にしまっておきたくなるドロップキャンディー」です。
本職の人にしたら失笑物かもしれません、すいません。
私は紙さんのファンなので、いつもこっそりお邪魔させてもらってます。
上記の記事内で「誰も傷つかない言葉を書きたい」と言う大学生に、ある作家が「誰も傷つけない言葉なんてひとつとしてないよ」と言う。
創作物の文章についての話ではあるが、普段私たちが日常で使っている言葉も結局「この世に存在する登場人物」の声なのだ。
自分の想いや知ってほしいことを熱く伝える文章には魂がこもっている。
それに傷つく人がいたとしても、他の誰かにとっては気付きをもらえる言葉であったりするのだ。
人を傷つけたり人に傷つけられないように、オブラートに包んだ文章だけを書いたり読んだりすることも間違ってはいない。
でもオブラートで苦味を隠してばかりいると、なにが本当の苦い良薬なのかが分からなくなってしまうのではないか。
誰だって傷つけたくはない
極端な意見を言うことで炎上が日常茶飯事になっている有名人もいるが、ああいうのはビジネスだ。
一般人が炎上してもメリットはほとんどない。
私自身もSNSでの言葉には極力気を付けているが、もしかしたら誰かを傷つけているかもしれない。
ただ、反応に怯えて自分の意見を捻じ曲げるようなことだけは絶対にしたくないのだ。
言葉に気を付けて発言することと、思ってもいないことを発言するのとではまるで違う。
誰も傷つけない言葉とは、突き詰めればありふれた薄っぺらい言葉だ。
誰も傷つけない代わりに誰の心にも残らない。
そんな言葉を発信して何の意味があるのか。
誰も傷つけない言葉なんてクソくらえ。
誰かの心に届くことを願って、私は私の言葉を書き続けるぞ。
そう思いつつ、もちろん炎上には気を付けながら書いている私です。
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