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米津玄師と、ライブの話。

 2020年のコロナ禍直前のHYPE、2022年の秋に参戦した変身、2023年の汗ばむ春に岡惚れだった子と行った空想。わたしが米津玄師という沼に嵌ってから、これまで全てのライブを一次で勝ち取ってきた。

 そして今年、わたしにとって4回目のライブ、JUNKで初めて一次先行で落選した。今年は厄年かなと思った。友達と行く約束をしていたから、もう一回リベンジしてみよう。二次はもっと狭い道だろうけど。そう決めて、当落の日まで必死にわたし自身のことを、いつもの日常を淡々と、必死にこなし続けた。

 そして運命の日。正直わたしにはツアーのことしか生きる意味がないので、二次も外れてしまったらどうやって生きればいいのかわからなくなると思った。それだけ米津玄師を渇望していた。12時の発表を待つまでの間、心臓がおかしくなるくらい飛び出るような感じがした。サイトを開く。

 サイトを開くと上部に「お支払いが必要な項目があります」との通知が。え?もしかして??嘘??指が震えて操作が覚束ないが、はやる気持ちを鎮めながらマイページを開く。当選した人のみが見られる赤枠に白抜きの「当選・入金待ち」の文字が、そこにはあった。腕がちぎれそうなくらい喜んだ。本当に…?夢じゃない。また会える…!実際の確率はわからないけれど、米民さんの取ったアンケートでは10%にも満たないチケットを、手に入れることができたのだ。

 …と書いておきながら、わたしがしたかったのは当選の自慢話なんかではなく。なんでそこまでわたしが彼のライブを切望していたのか、ふと考えてみた。もちろん純粋に好きな気持ちもある、それは間違いない。でも、他にもライブに行ってみたいアーティストがいたのに、わたしはそれを捨てて米津玄師を選んだ。実は米津玄師以外のライブに入ったことがほとんどない。

 なんで米津玄師を求めてるんだろう、そう考えて、とある一つの答えが浮かんだような気がした。

 わたしが米津玄師を知らないからだと。かれこれ5年以上も彼の音楽を聴き続けているのに、わたしは米津玄師という人物がいまだわからないでいる。

 最近(LADYあたり)から髪をセンター分けにし、目がぱっちり見えるようになった。ライブでもパフォーマンスで髪が乱れて、昔のように見えることもあるけれど、どんな顔で歌っているのかをしっかり見ることができるようになった。

 彼は歌いながら、どんなことを考えているんだろう。何を思ってセトリを組んだのかな。彼の眼にはどんな景色が映っているのかな。色んな思いが交錯しながら、わたしは彼の歌声を聴く。きっと正解には辿り着けないだろうけれど、だからこそわたしはこの目であなたを確かめたい。たとえ表面上だとしても、間近でその答え合わせがしたいんだと思う。

 かつてインスタライブとかインタビューで言っていた、「SNSとかでその人の一部分だけ切り取られて、その虚像が勝手に飛び交ってしまう」「昨今の推し文化はその顕著な例で、ある種人間性の剥奪とも見れる」と言う話を思い出す。実を言うとわたしは押し活という言葉があまり好きではない。対象が元々非生物のコンテンツであればまだしも、やっぱり生身の人間に対して「推し活」というのは少し気持ち悪さというか、グロテスクな感じがする。それならわたしの米津さんへの気持ちは何か、と問われるとちょっと難しいけれど、やっぱり米津玄師という「人物」を知りたいということだと思う。わたしが知り得るのは所詮彼の「表向きの米津玄師」にすぎないだろうし、そうであってほしいけれど、「見えない米津玄師」を空想していたい。だからわたしは米津玄師を求めているんだと思う。ただしこれは、あくまでもわたしの身勝手なエゴというか、自己解釈というだけの話。新曲や新アルバムが出るたび、わたしは答え合わせを繰り返す。わたしの中で米津玄師という人間を咀嚼していく。JUNKもその想いを噛み締めながら、精いっぱい楽しみたいと思う。

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