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【産後に書いた文章】妊娠し、出産し、そして学びを諦めるということ
産後、しばらく経った。第一子も第二子もすくすくと育っている。まずはそのことが何より嬉しい。
第二子の産前産後、私はいくつかの選択をした。休学を延長することも、そのひとつ。いまの自分では修学は難しいだろうと判断してのことだ。
私は30代で、いま大学に通っている。既にひとつ大学は卒業しているが、より学びたいという気持ちがあり、入学した。
唐突に響くかもしれないが、私の現在の大学におけるGPAは累計3.9である。
もっとも、至極当然のことではあるが、GPAの数字を確保するために大学に来ているわけではない。
卒業後の進路に影響するなら別かもしれないが、私には今のところ積極的に高いGPAを取る必要性はなく、学びたいものを学んでいる。これからもそのスタンスで、学びたい科目を学ぶつもりだ。
GPAが平均より高いことで証明できる能力というのはごく限られていると思うのだが、その数少ない証明できることのひとつとして「課題を期日までに提出する力」というものが挙げられると思う。
現行の大学の制度では、(それが多様な学生たちの学ぶ環境として良いかどうかは議論の余地が大いにあるとして)いくら理解力や知識の面が優れていても、原則期日までに提出物を出さなければ評価が下がる傾向にある。
私自身、コロナや子どもの急病といった余程の事態を除き、課題は期日までにすべて提出している。
こういった事実から、すくなくとも私は、期日までに求められたものを提出する力、期日を守る力はあるとみなされてよいと思っている。
だが驚くべきことに、産前産後の期間においては、普段こうしてできていることができなくなった。
私は普段、通知やメールは欠かさずチェックしている。
産前産後ももちろんチェックしていた。だが毎日欠かさずチェックするのは難しくなった。
私は妊娠中、よくお腹が張った。産前にお腹が張ったときには安静を要する。「座っているのはいいですか?」と産婦人科に聞いたところ、とんでもない、食事とお手洗い以外は横になっていて、他に何かをするのもやめて休んでいてと強く言われた。
前にも書いたが、私の健康が損なわれるだけならまだいいのだ。それだって問題だが、しかし、まだいい。
私の行いひとつで、お腹のなかの小さないのちに影響する可能性がある。
わずかであっても、可能性は、可能性として目の前に存在している。
そのことを思えば。病院の指示を無視して、座って何かをする気にはなれなかった。
そんな中でも可能な限りメールや通知をチェックした。
だが、びっくりするような思い違いが何度も起こる。
毎日見ているはずなのに新しく見る通知がある(実際にはおそらく私が見逃している)。日時が頭に入ってこない。普段はスケジュールが確定したらすぐ手帳に書くはずだが、なぜか書かれていない。かと思えば、同じ予定が複数の日時に書かれていたりする。
そもそも相手の言っていることがわからない。もともと相手の言葉を聞き逃しがちではあるが、話しているうちにそもそも何を話しているのかわからなくなってくる。日時などもっとわからない。声だけではなく文章でもわからない。何度読み返してもわからない。
締め切りを見落とす、予約の日時を間違える、相手の説明を取り間違える、こんなことが日常茶飯事になった。
そして、いくつか、大事な機会を逃した。期日を守れなかったのだ。
異常だった。世界が、あるいは私がおかしくなってしまったのだと思った。
脳外科にも相談したが、妊娠中はみな忘れっぽくなる、すくなくとも緊急でなければ検査は控えた方がよいと言われた。
産婦人科やかかりつけの病院でもそう言われた。そういうものだと。周りのカバーやフォローでどうにかしていく必要があると。
このような現象に、マミーブレインという名前がついている、と知ったのもこの頃だ。
第一子のときはなぜかここまでの症状はなく、私は、第二子で初めてこのマミーブレインというものを徹底的に経験した。
なおかつ、産後の体調不良はマミーブレインだけではない。第一子のときもそうであったように、全身のさまざまなところに不調が出る。
こんな状態で、修学などできるはずがない。
すくなくともいまの大学の制度のなかでは。
私はそして休学延長を決意した。もともと出産日前後は休学していたのだが、産後も、しばらく休学することにした。
当然、修学計画には差し支える。いくつか給付の奨学金を頂いているのだが、そちらにも差し支える可能性が出てきた。
私は普段、仕事としても文章を書いていて、幸い仕事関係の方々からは理解を頂くことができた。ペースを落とし、期日を延ばしていただきながら、無理のない範囲でどうにか取り組むことができた。
それは私の仕事がいわゆるフリーランスと呼ばれるもので、特定の日時に何かをしなくてよいからというのは、あるだろう。
ペースを落とさざるを得ないこと、期日を延ばさざるを得ないこと、それだって本来は不利益だ。そのことについても、考え続ける必要がある。
だが、すべて停止しなければならないこと、それは更にもっと大きな不利益だ。
たとえば休学というのは、この、すべて停止ということにあたると思う。
私の仕事がフリーランスだとはいえ、仕事上可能なことが大学ではできないというのは、はたしてどうなのだろうか。
私はそれでも、既に大卒であり、仕事と大学での学業を(直接的には)結びつける予定はないので、まだいい。
もちろん卒業に向けての確固たる意志はあるが、最悪、中退となった場合にも、生活に大きく差し支えるものではない。
だが、現在の大学はただ学ぶだけの場所ではない。明らかに、将来の進路にもかかわってくるものである。
少々強い言い方になるかもしれないが、「大学は学問のみを行う場です」などと本気で言うひとがいるとすればそれは、あまりにも素朴か、あるいは欺瞞に満ちていると言わざるを得ない。
妊娠した場合、いまの大学の制度のなかでは、あまりにも取りこぼされるところが多い。自己責任論が妊娠の場合にまで跋扈している。
これでは実質的に、修学を諦めざるを得ない。それが、率直な所感である。
私の書いていることは私の在籍している大学への批判ではない。特定のだれかへの批判でもない。
どちらかと言えば、より大きな、全体の、制度や社会への疑問である。
産後しばらく経ったいま、幸いマミーブレインは落ち着いてきた。いまになって産前産後のメールを読み返し、取り違えていたことがあまりに多いことに驚愕している。
そのようなことに気がつける程度には思考が通常通りに戻ってきたということだが、しかし、通常通りに戻ってきたのもごく最近のことだ。
ちなみに、私がB(GPAで言うと3)を取ったのはすべて妊娠中だった。妊娠していないときにはすべてA(GPA4)を取れた。
もちろん、すべて妊娠のせいと言い切ることはできない。だが、まったく関係ないとも言い切れない。
マミーブレインに、成績の違い。
こういった、「なんとも言えない」ところの責任が、原因が。本当はグラデーションであるはずなのに、すべて「妊娠・出産した人間」の責任として押し付けられる。
もちろんすべてが妊娠のせい、これもまたバランスを欠いている。しかし現在のようにほとんどすべてが自己責任、自己負担になるのも、バランスを欠いている。
まずは議論できる土壌がほしい。真に多様性と言うならば、「標準」向けにつくられている制度のなかでは、システムのなかでは、人並みにはやっていけない、そのような者の、私たちの、言葉を聴いてほしい。
責任論や公平性の話は、それからである。
私だって、学べるなら学びたかった。それが、本当の気持ちだ。子どもを産んで、そのあとも、予定通りに学びたいことを学びたかった。
だがいまの私ではそれが叶わないのだ。マミーブレインに体調不良、そのことを思えば、自分を信用せず、休学するしかないのだ。
「妊娠・出産した人間」の「自己責任」としてその事実を受け入れつつ、ただただ、道が先細っていくかのようにぽつりと悲しい。
たとえば私の身体が男性だったら、あるいは私が子どもを産むという選択をしなければ、学びたいという私の想いは叶ったのだろうか。
それは、つまり、子どもを産んで学ぶなど、諦めろという声なのだろうか。だれかの、なにかの、もっと大きなものの。