見出し画像

私の成長を阻むもの

「人は1人で生きられるもの」
「みんなに好かれたい」

この固定概念が、私の成長を阻んでいる。

一人っ子の娘として生まれ、両親の愛情を全面に受け、友達にも恵まれた幼少期。

学校に通うようになってからも、孤独を味わうことなく、自由に生きてきた。

もちろん、時に悲しいことや辛いこと、思い出したくないことも、中にはあるが、すべての経験は自分の成長につながっていると思ってきた。

「もっと深く考えられる人になろう」。

会社の評価面談で、大好きな上司からもらったフィードバック。

スピード感のあるレスポンスや臨機応変な対応が得意な私にとって、心から願う理想を、遂に目指す時期が来たんだ、と感じた。

何が足りないんだろう?
どうすれば理想に近づく成長ができるんだろう?

日々、考えて、考えて、わからないままの日々が続いた。

相手のために何ができるか、考えることをもっと深くすれば良いのだろうか。
もっと自分自身の能力を高めれば良いのだろうか。

しかし、まったく、うまくいかない。

「軽い感じがする」「本当に思ってるの?」
「結局自分視点で動いてるね」

いろんな人から、いろんなフィードバックをもらう。

そんな時にたまたま受けた会社の研修で、自分の成長を阻むメカニズムを解くワークと出会った。

理想の状態が叶う行動。
そして、それが実現しない「ネガティブな行動」と「ネガティブな感情」を書き出す。

「自分にとっての最適解を選ぶ」
「自分だけがうまくいけばいい」
「自分が一番正しい」
「自分が誰よりもうまくできる」

書き出すだけで、辛く、悲しく、自分に対して絶望する。

そして、このネガティブな行動と感情の根幹は何か。
最後に自分を縛る「固定概念」と向き合うのだ。

「人は1人で生きられるもの」
「みんなに好かれたい」

行き着いた、私の固定概念はこれだった。
涙が流れそうなのをこらえて、文字にした。

ああ、私の根幹にはこれがあったんだ。

一人っ子として育てられ、なんでも自分のことは自分でする、何をやるときも一人でやって、「すごいね」「えらいね」と言われてきたことで、「一人で生きられる」と勘違いしていた。

小学校の時に間近で「いじめ」を見ていたから、「嫌われると恐ろしいことになる」と勝手に思い込んで、「人に嫌われるくらいであれば、全員と平等に接していたほうがいい」と感じるようになった。

しかし、「全員と平等」なんていうのは、無理に決まっているし、心のどこかでは、人によってコミュニケーションや見る目を変えていた。

これらを文字に起こすと、なんてバカな概念に25年間も縛られていたんだ、と自分で自分に虚しくなった。

「私は周りの人に支えられて生きている」
「全員に平等に好かれることは不可能だから、大切な順番で優先順位をつけないといけない」

これが、私の新しい固定概念だ。

#コラム #エッセイ #カカのつぶやき #仕事 #自分とは #働く #就活 #固定概念 #成長 #新しい気づき  


いいなと思ったら応援しよう!