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【小説】 自覚

仕事が終わって一息ついたら、いつの間にかお昼を過ぎていた。
今日は時間が経つのが早いらしい。らしい、というと自覚的ではない表現になるけれど、本当にそういう日は一定の期間発生するし、人生なんて、自覚的に生きている時間のほうが少ないのかもしれない。
気づいたら電車の中で家の鍵閉めたっけ?って思ったり、気づいたら入ったコンビニでガルボを手に持ってるし、気づいたら洗濯機から顔パックが破れもせずに乾燥されてタオルの隙間から出てくる。
いつもはたと気づいては、「あれ、こんなんだっけ」と思うことがほとんどで、無自覚なほど無防備な自分がそこにいる。

大抵の場合、誰かに言われた一言で無自覚から自覚的に戻される。
手に持った鍵がスマートロックになっていることで携帯画面からの言葉に安心させられたり、「合計金額は251円です」って機械に言われた一言で合計金額から購入したものを見直したり、「異物が混入しています」って画面にアラートが鳴る音で気付いたりするのだ。
「それって楽してることですよね?」
なんて言われたこともある。
人の見方は様々で、考え方だって人の数だけあると思う。誰だって、許容できる範囲も理解の範疇も限界があるのだ。
批判的な意見ばかり蔓延るこの世の中で、私は最近こう思う。

「人は忘れる生き物で、無自覚なほど忘れていく。自分は完璧にはなれないし、なろうと努力すること自体は悪いことではないけれど、それでも忘れてしまう自分へ向けた仕組みづくりを機械に託しているのだ」と。

「人に託せばいいじゃないですか、なぜ人じゃないんですか」
「いいえ、人には託せません。心の安寧の為にも、人が介入する必要はないのです」
「家族ってそういう時に助け合うものじゃないんですか?だから家族でいればいいじゃないですか」
「人に託す=家族に託すという考え自体がそもそも誤りであると私は思います」
「会社は人と人とで繋いでやるものですよね?機械化が進むということは人はいらないということですか?」
論点がずれている点を指摘することも、まともな回答を答えられる人もいない世界で生き残るには、自分が自覚的になるしかないのだと思い知らされる。脳内論争はオーバーヒートし、閉幕した。

昼ごはんを食べてどさっと座ったベンチで振り返ってみると、結局のところ行き着くのはこの気持ちだった。

誰に何と言われようが、自分のささやかな日常だけは守りたい。

自分の好きなもので囲まれたいし、食べたいものを食べに並びたいし推しに会いたい。出かけたい。ただそれだけ。
それさえ守られれば私は幸せ。私の幸せを私が大事にしたい。
この気持ちを理解してくれる人が現れるかどうかなんてわからんなーって思いながら立ち上がって伸びをする。
残りの仕事も頑張ろうと意気込んでいたら、シャツのボタンがフツッと取れてしまった。
まずは自分の体重を自覚することから始めようと心に誓った。

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