【エッセイ】 浮力
「ああ、もうどうでもいいや」って投げ出したような気持ちがふっと湧いた時、諦めと焦燥に押されて絶望へ落とされる。
ふっと背中で冷気を感じながら、落ちていく世界を横目に、
落ちていると分かっていながらも、まだ淵にいると信じて少しだけ足掻く私がいる。
まだ、できることがあるのなら。
まだ、私にやれることがあるのなら。
それをやらないで、落ちはしない。ただでは落ちたくはない。
また、マイナス思考のるつぼに囚われ続けるのは嫌だと思うのだ。
もがきたい私がそこにいる。
「もうだめだ」って思った時に限って、どうにかなるって気持ちで真正面から向き合うと、案外衝突しなかったりする。
ギリギリのところでどうにかなるのだ。
「そうは言っても、落ちたくはない」と思うこともまた、十分に理解している。誰だって、また落ちたくはない。マイナス思考に囚われて、全ての事柄が自分を攻撃しているように思えてしまう状況なんて、フィルターのかかった状態なんて、嫌だ。
私も、嫌だ。
でも、そうなってしまう。
私も、そう考えてしまう時がある。
そういう時は、交差点で信号を待つような気持ちで、通り過ぎるのを待つしかないのかもしれない。
それでも、落ちていく感覚が拭えないのなら、
日頃から戻るための浮力を、腹の底に蓄えておけばいいのかもしれない。
と、最近考えている。
きっと、自分を満たすということは、
自分の中の幸福を貯めておくことに他ならなくて、それがいざって時に自分の浮力になる。
ああ、こういう幸せを私は持っていたんだって、自分で振り返って気づいて、風船のように幸福が膨らんで飛んでいけるから。
だから、まだ落ちないで。
自分の浮力で自分を助けられたら、
今度はまた、落ちそうになっている人を助けにいくよ。
どんなに微力でも、誰かの力になりたいって気持ちだけは、きっと人類誰もが抱いたことのある気持ちのはずだから。