本の紹介34 世阿弥にとっての「黄金の島」
「素晴らしいではないか、
私のような逸れ者でも気ままに住ませておき、
人の生きる道から外れることもなく、
山はそのままで高く聳え立ち、
海はそのままで深く水を湛えている。
山雲海月の心というように、
海は情緒深く、山は見渡す限り、青々としている。
その名を問えば、佐渡という。
この黄金の島は神秘的な場所である」
こちらは、『金島書』という詩ですが、
『風姿花伝』の著者である
世阿弥が書いたとされるもの。
能の大成者とされる世阿弥ですが、
晩年には室町幕府をめぐる政局に巻き込まれ、
70にして流刑され、佐渡島に送られてしまいます。
その佐渡で作ったとされるのが、
この『金島書』なんですね。
そう、佐渡で金、世界遺産に登録されることになりました。
日本で26件目だそうですが、
かつて黄金の国と呼ばれた日本を代表する金山として、
佐渡が世界にフューチャーリングされるわけです。
ただ、佐渡の金山が本格的に開発されるのは、
江戸時代になってから。
確かに平安時代から金の産出は知られていたのですが、
圧倒的な黄金量を誇ったのは、
平泉が象徴する東北の金山でした。
それまでの佐渡がどんな場所だったかといえば、
犯罪者たちが追放される
辺鄙な場所でしかなかったんですね。
にもかかわらず、
1434年にここへやってきた世阿弥は、
佐渡を「金の島」と呼んでいるわけです。
老齢の身で、何もない島送りですから、
相当に苦労はしたでしょう。
(家などはちゃんと持てたようですが)
そんな中で彼が何をしたかといえば、
都にいたときと変わりません。
能の脚本を書き、地元の人に教えたりして、
文化普及活動を勝手にやっていた。
島の人々はどれくらい理解したのか知りませんが、
雨乞いのために神様に捧げる能なども、
現地の人々と一緒に行なったらしい。
困難な状況下でも、
「自分にできること」をポジティブにひたすら、
実行していたんですね。
10年くらいの後、世阿弥はこの世を去りましたが、
その前に本土に戻っていたのかどうかは
ハッキリしません。
あるいはこの地で、最期を過ごしたのかもしれない。
彼が愛し、晩年に身を捧げた「黄金の島」は、
その名の通り、後に「金鉱の島」となりますが、
むしろ歴史的には
暗いイメージを背負うことになりました。
それが一転して、これからは新しい世界的な観光地として
歩み出すことになるのか。
だとしたら世阿弥さんは、喜んでそうですね!
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