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武士道入門21 茶の心

『武士道』の「礼」には、「茶道」の話も紹介されます。
戦国時代、大名たちは「茶の湯」を愛しました。
優れた茶器は、城一つに勝る価値を持ったわけです。

でも、どうしてそこまで、「茶」が愛されたのか?
新渡戸稲造さんは、『武士道』でこう書いています。

「茶室の静かな空間に入る前に、茶の湯の席に参加する武士たちは、自分の持っている刀を懐から出して、脇に置き去ります。
刀とともに、戦場の荒々しさや、政治の煩わしさといった心をも置き去り、茶の湯の席で平和と友情をみいだしていくのです」

なるほど、「茶」という世界を共有することで、武士たちは「武士であること」 を超えて、相手と対等に面することを重んじたわけです。 武士の理を破り「、茶室」という仮想空間で「人間 人間」が、1つのセレモニー を演じる。こういう「共同作業」こそ、「礼儀」の本質なのですね。

新渡戸稲造さんとほぼ同時代、世界に影響を与えた日本人。岡倉天心さんは『茶の本』で言っています。
「最近では『サムライの掟』について、多くの言及がなされるようになりました。これは我が国の兵士に、誇らしく自己犠牲を選ばせる「死の技術」と言うこと ができるでしょう。しかし「生の技術」である茶道に関心が払われることは、めったにありません」(致知出版社『茶の本』) まさに茶を土台にした「礼儀」は、相手と対立する仲であったとしても、「ともに生きる理想」を目指し、一緒に行なう1つの「即興劇」。だからこそ重んじられたのです。

この話、茶道をやっていない人には「関係ない」と思うかもしれませんが、そうではありません。
たとえば出版社に打ち合わせに行けば、編集さんはたいてい、お茶を振る舞ってくれます。どんな仕事でもよくある光景ですね。
これも「ともに生きる理想的世界」を、一緒につくろうとする行為なんです。

どんな話をする場であっても、自分が嬉しい、相手も嬉しい......という世界を期待し、お茶を出している。
日本人はずっと「茶の思想」を受け継いでいるのです。問題はそれをちゃんと意識しているかですよね?

「礼」はつい形式的になってしまうのですが、その本質になっているものを、忘れてはいけないのです!

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