ルキ
ちょっとしたパーティみたいなものに参加した後、顔見知りの女性とお茶をしに寄り道をした時の話です。 彼女は、少しため息をついて言いました。「なんだか歳をとっていくにつれ、お仕事に対するモチベーションがだんだんなくなっていくのがわかるの。仕事は好きなのよ。一人で自立も出来ていると思う。がんばってきたもの。でも、若い子達のように、やりがい、夢、自己実現ってがむしゃらに思えなくなって。なんだか、自分がなんのために働いているのかわからなくなる時があるの・・・」。 彼女は30代後半の聡
幼稚園の時、障害物競技で3位になった。 小学生になり、足が速くなりたかったから毎日100本のダッシュを繰り返した。おかげで4年生から中学3年生まで、運動会でいつも胸に赤いリボン。1位以外はとったことはなかった。学校代表のリレー選手にも毎回選ばれた。 勉強はとてもTOPにはなれなかったけど、公立進学校に行き、大学も留年することなく進学できた。 大学では196単位を取得し、卒業生で1番になった。 でも、54歳になった今はどうだ。いい会社には入れたが、同期の中では一番びりっ
中学2年生の頃、1つ年上のみどりさんとデートをしました。 土日は野球漬けだったぼくには貴重な時間でした。 みどりさんは、とてもきれいな人で、当時、倉沢敦美(元わらべ)さんによく似た人でした。 ぼくはクリクリ頭の丸刈りにもかかわらず、目一杯のおしゃれをして、ぼくらの町にあるフードコートで待ち合わせをしました(当時はフードコートって呼び名も無かったし珍しい場所でした)。 そこで、ジュースを飲んだり、当時、すごく人気のあった「クレープ」を食べたりしながら初めてのデートを楽しんでい
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか? 誰でも幸せに生きる方法のヒントだ もっと力を抜いて楽になるんだ 苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。 この世は空しいモンだ 痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ この世は変わり行くモンだ 苦を楽に変える事だって出来る 汚れることもありゃ背負い込む事だってある だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ この世がどれだけいい加減か分ったか? 苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ 見えてるものにこだわるな 聞こえ
今日も一日、個室でパソコン相手に時間を消化しました。 誰にも会いたくないので、極力、部屋からは出ないようにしています。 唯一、むかしから仲の良かった人が会いに来てくれました。 あ、あと、唯一3人しかいない埼玉の親友から連絡がありました。 人との距離感の取り方がわからないとアドバイスをもらうと、、、 簡単だよ。人には過度な期待しないこと。自分が困らない範囲で優しくすること。 人間の関係性の苦しみって、自分が持っている理想を、自分や他人に投影して、その理想とのズレや誤謬
会社で問題を起こしてしまいました。反省はしているのですが、本意ではない方向に物事が進みました。内容は、今は伏せておこうと思います。 結局、全く何をやって良いかわからない部署へ6月1日付けで、異動。 しかし、事情により(これも後日に話せれば)異動日付より少しでも早く異動をするようにとのことでしたが、ぼくの精神状態が自〇の危険があるとの医者からの指示により、社内での個室作業へ。 人事部の対応はとても丁寧にしてくれて、パソコンからなにから全て個室に再現してくれました。 今は
仕事がオフの時、家にいる小さなコに連れられてほてほてと近くの公園まで行ったときのお話。なごやかな風が吹く公園では、つい最近までおしゃれして街なかを闊歩していたような女の人たちが僕と同じように小さなコをつれて遊んでいるんです。みんな一様にジーンズにトレーナー、足元はスニーカーって格好。もちろんOK。とっても機能的だし、砂場で汚れちゃうことだってあるし。 そんな中、僕も滑り台で小さなコと遊んでいると、一人だけ小さな花柄のフレアのワンピースに紺のカーディガン、足元は黒のショートブ
男が人生で今までにつきあった彼女の写真を机の上に置く時は、横一列に並べるんだそうです。 逆に女の人は今までつきあった彼達を1枚1枚重ねて置いていくそうです。 その話の落ちは、「男性は今でも昔の彼女のことを想っているけど、女性は1人1人を完全に終わらせていく」ってことらしいです。ま、これが全ての人にあてはまるとも思わないし、そんなに僕等の心は簡単じゃないって思うんだけど、「想い出」の思い方って確かに男性と女性じゃ違うような気がするんですよね。 例えば、この歳になれば僕だっ
この2年はニュース記事をwebに上げる仕事の末端にいる。 ニュース記事のタイトルは自分で考えて、記者が書いた原稿のリライト部分も含めて偉い人にチェックを受けるのだけれど、偉い人とは感覚が違うのであっさり書き換えられる。 そんな毎日だ。 毎日毎日、田舎のニュースを見るのに飽きてきた。市議会がー、県知事選がー、自衛隊員がー、ダム建設問題がー、、、「今日」ではなく「きょう」、「怪我」ではなく「けが」、「教養が無い人でもわかる言葉で」が理由らしい。アホらしい。そのくせ、「起訴され」
昔、古庄久美さんというとても温厚な歳上の女性と付き合ったというか、ままごと見たいな恋をしたことがあった。古荘久美さんだったか、古庄久美さんだったか、古庄くみさんだったか忘れた。時は残酷だ。手をつないで街中から、結構な長距離を歩いた覚えがある。夏祭りの夜だった。どうしていらっしゃるだろうか。とても人のいい人だった。幸せならいいなぁと心から思う。 あとは、ぼくなんかと間違って結婚しなくて本当にその人は良かったと思う。 そういえば、僕はその人と、どうやって別れたのだろう。それす
「歳月人を待たず」という言葉は有名だけど、実はこれは詩の一部で、内容は以下の通りです。なんだか、気が楽になりますね 「歳月人を待たず」 陶淵明 人生には木の根や果実のヘタのような、 しっかりした拠り所が無い。 まるであてもなく舞い上がる 路上の塵のようなものだ。 風のまにまに吹き散らされて、 もとの身を保つこともおぼつかない。 そんな人生だ。みんな兄弟のようなもの。 骨肉にのみこだわる必要はないのだ。 嬉しい時は大いに楽しみ騒ごう。 酒をたっぷり用意して、近所の仲間
大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」 隔週連載 第3回 23/6/7(水) 2週間前に「うたの日コンサート」ツアーのファイナルがあった。僕とROLLYさんとで13年もやっているアコースティックライブだ。今年はダイアモンド✡ユカイさんと石川浩司さんをゲストに各地を巡った。石川さんはランニングシャツで「着いたー!」と叫ぶ元たまのメンバーだ。もちろん各地愉快なライブになったのだが、ある土地の会場でちょっとしたハプニングがあった。 その日のライブは開演から指笛をピ~ッ!!と鳴らすお
僕が音楽を知ったのは、小学校4年生、10歳の頃だった。1980年、佐野元春さんがデビューした年だったと思う。 当時、僕は、鍵っ子の一人っ子だったので、学校が終わると母の実家、下宿屋を営んでいた「じいちゃんち」に行き、母がパートの仕事を終え迎えに来るのを待つ毎日だった。 じいちゃんちには従兄弟のお兄ちゃんとお姉ちゃんがいて飽きることは無かったどころか、すごく楽しかった思い出がある。 それにも増して、大学生相手の下宿屋を営んでいたじいちゃんちには、大学生のお兄ちゃんたちがた
歳をとるごとに、「自分は出来損ないの人間だ・・」と痛感する。 小学生の頃は、足が速くてリレー選手だった。 中学生の頃は、野球部でピッチャーをやっていた。 そこそこ成績も良かった。 高校は将来を考え、行きたくない学校に進学した。 今では、ほぼ思い出が無い。 大学では野球を続けた。つまらなかったが、辞める度胸が無かった。 思い起こせば、小学校の通知表にはいつも”協調性が無い”と書かれていた。 その言葉は、人生にずっとつきまとってきた。 仕事はいい仕事に恵まれた。 しかし、いい会
「考える」ということについてよく考えるのだけど、野球だったら考えないで直感で打っていく選手のほうがある程度のレベルまでならうまくいく。「考えすぎると打てなくなる」イップスがその代表例。野球もゴルフも。 仕事や日常生活でも、聴こえ的には「考える」人のほうが賢いように思えるけど、実は、「考えていない」、言い方を変えると「鈍感力」のある人のほうがうまくいく。 なぜなら、深く「考えないから」。落ち込むリスクも無い。この時代に落ち込まない人間は貴重だ。AIに並ぶ価値かもしれない。隣
昨日、高校サッカーの決勝戦を見ていました。 強豪校の青森山田と、県立高・県立高となぜか騒がれた大津高校。 大前提として、僕は昭和から平成初期の野球人。昭和の時代は、野球部から見ると、サッカー部は”敵”でした(笑)。髪の毛は伸ばしてるし、なんだかチャラチャラしているし、雨の日は異常に盛り上がってグチャグチャのグラウンドではしゃいでるし(練習?)。当時は、まだJリーグなんて微塵も無いし、カズなんて知らなかったし。やっぱり高校野球は花形でした。みんな丸刈り、下手したら五厘刈り。根