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地獄の課金制度

地獄の法廷には、今日も人間たちで長蛇の列ができている。
 ここは人間が死後、極楽か地獄のどちらに行くか、閻魔大王から審判を受ける場所だ。俺は閻魔大王本人を直属の上司として、ここで獄卒として働いている。
 自分の足元の籠から巻物を1つ手にとる。審判に必要なもので、その人間の半生が事細かく記されている。次の審判は、気の弱そうな若い男だった。
「次の資料です」
「うむ」
 閻魔大王の声は低く、氷のように冷たい。その上、威圧感のあるどっしりした体、血のように赤い肌、ぎょろりとした眼球、裂けたような口は泣く子も黙る恐ろしさだ。しかし意外にも太く皮の厚い指は器用に巻物を解き、男の人生を丁寧になぞる。
 緊張感漂う沈黙の中、確認が終わり男の顔を正面から見据えた。審判を決した合図だ。
「この者は地獄行きとする」低い声が放つ鉄槌に、男が青ざめる。
「そんな、どうかご慈悲を」縋りつく男を見ても、表情は変わらない。
「黙れ。盗みと殺人の罪人は、地獄で妥当である」男は獄卒に襟首を掴まれ、地獄へ繋がる門へ向かう。金属製の重々しい扉が開き、赤黒い隙間から罪人たちの悲鳴とむわりとした熱気が流れた。どこかで息をのむ音が聞こえる。
「次の者はここへ」閻魔大王は淡々と進める。それに従い次の巻物を手渡した時、「あっはははは」と壊れた笑いが静寂を切り裂く。声の方向からは、先ほどの男が「お前にッ、何がッ分かるんだァッ!」と叫びながらこちらに戻ってくるのが見える。連れ立った獄卒たちは、男の唐突な行動に追いつけていない。俺は即座に走って男に近づき、勢いのまま顔面を殴る。鈍い感触。感じたのは手ごたえと、明確な敵意。刹那、痛みが電流のように拳を駆け抜けた。
「こいつッ」噛まれたと気づくと同時に腹に蹴りを入れると、男は地面に倒れ動かなくなった。

 一時休廷となり、俺は医務室で治療を受けつつ武器を使えと叱られた。獄卒には金棒が支給されるが、自分好みに改良したり別の武器を使う者も多い。これは閻魔大王が資源の有効活用のため考案した課金制度によるもので、多くの獄卒の楽しみの1つらしい。俺は素手がしっくりくるので、武器課金に楽しみを見出せていない。
 スパン、という軽快な音ともに医務室の襖が開き、赤い巨体が視界に入る。ゆったりとした歩調で入室して備品の椅子に座った。
「具合はどうだ」審判の時よりは穏やかな声だ。
「心配する程の怪我ではありません」
「ならいい」
「それだけですか?」素っ気ない返事にも特に気分を害した様子はない。
「そうつれないことをいうな。儂も涼みにきたんじゃ」そう言ってため息と共に目を閉じる。少しの間をおいて、ジジジ、とジッパーが降りる音が聞こえる。閻魔大王の背中がふたつに割れた中から、小さな影が現れた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ぷはっ」
 鈴のような可愛らしい声。薄い肌着を身に着け、やや赤らんだ絹のような白い肌、艶やかな長い黒髪は1つにまとめている。そこには恐ろしい閻魔大王ではなく、美しい少女がいた。
 この少女が閻魔大王であることは、俺と医務室の主を含め数名しか知らない。
「あの男は」
「生きておる。が、そのまま無間地獄に落とされた」無間地獄は、最も苦しい地獄だ。閻魔大王を攻撃した罪はそれほどに重い。
「閻魔きぐるみの頑丈さを試しても良かったんじゃがな」
「自分が護衛する意味がないんでやめてください」と言うと、いひひっ、冗談じゃ、と屈託なく笑った。
 “閻魔きぐるみ”は、彼女自身が課金して作った特注品だ。威厳を出すために着始めたが、機能性を求めて金と時間をかけるうちに、この恐ろしい見目のきぐるみに彼女は愛着を持っていた。我が上司ながら理解できない。
(…いや、理解できないのは、昔からか)
 遠い昔の事、彼女と出会ったを思い出していた。
 あれは、地獄が始まった日。太陽は無いが炎天下のごとくじりじりと息苦しくなる暑さだった。
『誰?』と鼓膜を優しく撫でる涼しげな声。周囲には俺たちと同じ鬼と人のカタチをした魂が彷徨っていた。
『この場所をなんとかしたいわ』
『つっても、どうすんだよ』
『んー、きっと大丈夫よ。貴方もいるし』
『…はぁ!?』いひひっ、と悪戯っ子な笑い方は変わっていない。それに拍子抜けして、暇だし飽きたら逃げればいいか、と俺は少女の誘いに乗った。そして今に至る。
「どうした?」呆けている俺を不安げに覗き込んだ。
「いや、なんでも。俺はそろそろ戻ります」というと「じゃあ、儂も戻る」と言ってもぞもぞときぐるみの中に納まっていく。
 ここには、色々な人間がやってくる。生を全うする者、死に気づかない者、今日みたいな者も来る。しかし、どんな人間も彼女の前では公平に審判される。善い者は極楽に、悪しき者は地獄に。そんな単純明快なここが、意外にも嫌いではない。
「ほら行くぞ。人間どもが待っておる」“閻魔大王”の大きな背中を見る。ついていかない意思はもう俺にはなかった。

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