BLUE MOMENTと一年前の私

『春 桃色の風が背中押した一歩

憧れの場所がいつのまにか毎日のホームになっていた

夢かなった瞬間だった』

東京にはずっと前から憧れていて、でも私は地味で暗い人間だったから、一生東京なんて華やかな場所に行けるとは到底思っていなかった。スタイルも良くて可愛い妹は両親からも「大きくなったら青学とかかな〜」なんて言われていたけど、私は偏差値の高そうなお堅い大学ばかりあげられて自分のイメージを再認識させられて、自然と選択肢から外していた。中3でSexy Zoneを好きになった時も、キラキラした彼らにとても憧れていたけど、そんなキラキラしたものは自分とはまるで無縁だと思っていた。高校生になって、そこそこ勉強ができた私はきっと関西の偏差値高めの大学に行くんだろうなと勝手に思っていて、東京なんて私に似合わないし、お金もかかるし行けないって決めつけていた。

「夢 真っ白な進路希望調査 戸惑い

周りの目だけが気になってた 自分だけが取り残されそうで」

そんな高校2年生の夏、私は欅坂46のアルバム「真っ白なものは汚したくなる」を手に取る。そして『危なっかしい計画』に出会ってしまうのだ。

『そう シャツのボタンを上まで留めているような

遊ばない 生真面目なタイプって決めつけないで

さあ 制服コインロッカーに預けて

駅のトイレで着替えてしまおう』

地味で文化系の部活と勉強だけそこそこやってる私には想像もつかないくらいキラキラした世界。同世代くらいの子たちがこんな所にいるんだ!憧れとか羨ましさとかそういう気持ちがむくむく湧いてきてどうしようもないくらいになってしまった。なんの嘘も恥じらいもなく、その時

「東京に行きたい。渋谷に行きたい。」

と思った。なぜ渋谷だと思ったかというと、欅坂46が渋谷でMVを撮ってたり、歌詞に渋谷が出てきたりしていたから。

でも、私はバイトもできない無力な高校2年生だったので、東京に行く手段が一つしか思い浮かばなかった。

「東大のオープンキャンパス行くわ」

母にこれを告げた時、母は驚いた顔をしたけど「日帰りならいいよ」と言って、新幹線代を出してくれた。まあ、そりゃ私は進学校に通っているとは言っても、東大なんて軽々しく目指せるような成績でもなかったし、ちゃんとした動機があったという訳でもなかった。母は、「変なこと言ってるけど、実際赤門見たら諦めるやろ」と思ったらしい。

8月、東大のオープンキャンパスに行ったら普通に結構面白かったので楽しかったけど、本当の目的はそこじゃなくて、帰りに渋谷駅に行くことだった。

乗り換え案内のアプリで悪戦苦闘しながら渋谷までたどり着いて、欅坂がMVを撮影してた東急東横線の改札の写真を撮って、人混みと垢抜けた人々が怖くてすぐに帰った。

このために東京に来たのに、それだけしかできんかったことが自分でも悔しかったし、でも一瞬だけ感じられたごちゃごちゃしていてなんでもありそうな都会の雰囲気はとても好きだと思ったし、憧れた。

家に帰って、しばらく経った9月中旬ぐらいに親と教師に東大受ける宣言をして、特に教師に考え直した方がいいと言われ続けながら、勉強をし始めた。

東大に行ったって、私が憧れる渋谷のキラキラした女の子とは程遠い人間であることに変わりがないって分かっていたし、なんなら『東大女子』だとかの変な烙印が押されるかもしれないことも分かっていた。

でも、私が東京という世界に接点を持つにはそれしかないような気がしていた。

高2、高3と時間が経って、成績があまり上がらない、どころかちょっと下がったりしていて、進路指導の先生に呼び出されて怒られたりしたけど、私はどうしても東大に行きたかったし、東京にしがみつきたかったから、進路を変えなかった。

センター試験と2次試験で色々ミラクルが起きて、私は奇跡的に東大文3に合格した。嬉しかった。東京という夢の場所で一人暮らしを始めた。

東大は1、2年生の間は駒場キャンパスで授業があるので、私はほぼ毎日京王井の頭線で渋谷〜駒場東大前を使うようになった。

『憧れの場所がいつのまにか毎日のホームになっていた』

あんなに渋谷におかしな執着心を持っていた高校2年生の女の子が、渋谷を日常にしている。少し苦手だと思っていた両親が恋しくなって、夜に一人で泣いたりする。高校の同級生が地元で集まっているのをLINEで知る。

『思い出はしょっぱくて 甘く苦い 人生のスパイス 戸惑うけれど』

憧れの街で暮らせたら、上手にかっこよく生きられるような気がしていたけど、実際は全然そうじゃなくて、私はずっと同じ人間で。

夢は叶ったと思ったんだけどな、って1年くらいたった今思っていて。

でもそんな時にSexy Zoneが

『思い出はしょっぱくて 甘く苦い 人生のスパイス 戸惑うけれど

上を向いて歌えば あの頃の僕らがいるよ

怒ったり笑ったり繰り返す いつまでもずっとずっと

枝分かれする未来も 始まりはそう 同じ木の下で』

と歌ってくれた。

私は高校時代の友達がとても少ないから、『あの頃の僕ら』みたいな存在の人はいないのだけど、代わりに高校時代3年間好きだったSexy Zoneがずっと私のことを応援してくれる存在になってくれたことは間違いなくて、だから高校を卒業して1年経った今、BLUE MOMENTという曲でまた私に大丈夫だよって言ってくれたみたいで、なんだか安心して気持ちが緩んでしまった。

東京にきて、全然上手くできないこともいっぱいあるけど、でも楽しいこともいっぱいあるし、やってみたいこともいっぱいあるから、頑張るね。

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