たぬきとホットケーキ『花の記憶 第四回』
春隣(はるどなり)、そんな素敵な季語を使ってみたいと思っていたら、いつのまにか立春が過ぎ、木々たちが固い芽を柔らかくしはじめています。
この時期の灰色の景色の中で、鮮やかな黄色に発色した雲南黄梅が咲き始めると思い出す、たぬきとホットケーキの事。
山と海に囲まれていた故郷の高知では、冬は枯れ草の中に獣道が浮き上がります。夏は生い茂る草の勢いに獣道は見えづらいのですが、冬にはすぐに見つけられるのです。
そこだけ、枯れ草のトンネルができていたり、一面枯れ草が立っている中に窪むように踏み固められていたり。
枯野は寂しげですが、動物たちの動く姿は見えやすくなり、より可愛らしく感じられるようでした。
父に教えてもらってからは獣道探しをするのが、この時期の私の楽しみ。大嫌いな蛇もこの時期は出ません。蛇の冬眠に安心した幼い私は探検家になった気分で出かける準備を始めます。
まず作るのは、幼い頃の私が唯一作れた定番のおやつ、砂糖を上からかけただけのホットケーキ。
子どもでも、ケーキミックスの粉に牛乳と卵さえ入れてかき混ぜれば、少々ダマになったり、焦げたりしても、味は問題無くできあがります。
温かい内にお弁当箱にいれ、上にかけた砂糖が出来るだけとけるようにすぐに蓋をします。お弁当箱の上にフォークをのせ、ハンカチで包み、獣の巣穴を探す探検にひとり出かけます。
途中のお気に入りの場所で、まずは腹ごしらえ。
春には桃や桜が咲く場所ですが、この頃には頭上に鼠色がかった白梅の花少しだけ、その下にはオオイヌノフグリの青い花がひとつ、ふたつ咲かせています。
そこは花木がたくさん植わっていて、野花も美しく、子どもだった私にとっては「秘密の花園」でした。お友達にも内緒の、特別な場所でした。
風は冷たいけれど、ほぼ裸の木々の枝越しに見る陽射しはキラリと綺麗な筋が入り、その光を見ながら食べる砂糖のせホットケーキは格別なのです。
溶けていない砂糖はその光の一部になり、
まるで魔法のように見えました。
腹ごしらえが終わると、獣道へ入っていきます。前回にはなかった新しい足跡やふんがあると、ノートに書きとめ、期待と妄想は膨らみます。
辿っていくと、黄色の花が咲いた雲南黄梅の木があり、そこは二手に分かれる獣道。
今日はどちらに行けばたぬきに会えるかと、勘で決めた道を進みます。
たぬきの家族の姿が見たくて、いつも巣穴を探していました。
秘密の花園は、私が5、6年生になる頃には、新しく出来た団地へ向かう二車線の道路や、水を溜めるダムのような大きなコンクリートの壁ができて、その姿を消しました。
たぬきの一家は、どこで子育てしているのでしょうか。
変わって欲しくなくても、思い出の中にある場所や事柄は、いつしか変化していくものなのかもしれないと、少し切なく思う夜でした。